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饒速日に従って天降った神・集団

高天原の神・天照大神は「豊葦原瑞穂国は自分の子・天忍穂耳尊が支配すべき国である」と考え、我が子天忍穂耳尊を地上世界に送り込もうとしていました。その準備をすすめる間に、天忍穂耳尊とその妃・豊秋津師姫栲幡干々姫命には子が誕生しました。「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」です。

天忍穂耳尊の意見により饒速日尊は父に代わり、天降ることになりました。弟・瓊々杵の天孫降臨に先駆けてのことです。

防衛(ふせぎまもり)32神

【1】天香語山命(あまのかごやま) 尾張連らの祖
 日本書紀に天火明命の子とあります。天孫本紀では天火明命を饒速日尊は同一神とされているため、天香語山命も饒速日尊の子となっています。

 

【2】天鈿売命(あまのうずめ)  猿女君らの祖
【3】
天太玉命(あまのふとだま) 忌部首らの祖
【4】
天児屋命(あまのこやね) 中臣連らの祖
 これらの神は、記・紀ともに瓊々杵尊の降臨に供奉したと記されています。後裔とされる猿女氏・忌部氏・中臣氏が、物部氏と職掌などで近縁にあったことを反映したものでしょうか。

 

【5】天櫛玉命(あまのくしだま) 鴨県主らの祖
 太田亮『姓氏家系大辞典』の鴨社鴨氏族の項に、「比良木禰宜祐之の賀茂県主系図の一本」として、このような系図があります。天櫛玉命が、神武東征で活躍する武角身命(ヤタカラス)の父であれば、世代的にも正確な対応といえます。

 伊勢国風土記逸文には、出雲建子命の別名とあり、またの名を伊勢津彦神とあります。石の城を築き、阿倍志彦神の襲来を撃退したといいます。また、伊勢津彦神は伊勢の国を治めていましたが、神武天皇の派遣した天日別命に国譲りを迫られたため伊勢を明け渡したが、自らはその軍門に降ることを潔しとせず、「八風を起こし海水を吹き上げ、波浪に乗って」信濃の国に去ったといいます。

 

【6】天道根命(あまのみちね) 川瀬造らの祖
 姓氏録和泉神別に神魂命の五世孫とあります。

 

【7】天神玉命(あまのかむたま) 三嶋県主らの祖
 神代本紀には、神皇産霊尊の子として「天神玉命:葛野鴨県主等祖」があります。【5】の系図もご覧ください。

 

【8】天椹野命(あまのむくの)  中跡直らの祖
 「天のムクヌの命」なら、国造本紀の伊勢国造条に「天牟久怒命」があります。

 

【9】天糠戸命(あまのぬかと) 鏡作連らの祖
【10】天明玉命(あまのあかるたま) 玉作連らの祖
 記紀に瓊々杵尊の降臨に供奉した神として登場します。

 

【11】天牟良雲命(あまのむらくも) 度会神主らの祖
 天孫本紀に尾張氏の祖として「天村雲命」があります。同一神であれば、天香語山命の子で饒速日尊の孫となります。
異なる場合では、豊受大神宮禰宜補任次第に「天牟羅雲命」があり、瓊々杵尊の降臨に従った神ということになります。

 

【12】天背男命(あまのせお) 山背久我直らの祖
 姓氏録山城国神別に神魂命の五世孫とあって、天神系であることが分かります。
日本書紀にある「香々背男」が「久我背男」と同一神かどうかは不明。

 

【13】天御陰命(あまのみかげ) 凡河内直らの祖
 姓氏録左京神別に天津彦根命の子とあります。天津彦根命は天照大神が素戔嗚命との誓約の時に生んだ子です。
天御影神は近江の国、野洲の三上山の神であり、子の息長の水依姫は日子坐命(開化天皇皇子)と婚して丹波の美知能宇斯王、水穂の真若王らを生んだと古事記にあります。

 

【14】天造日女命(あまのつくりひめ) 阿曇連らの祖
 天造日女命は他には見られません。天道日女命の誤記とすれば、天孫本紀にある饒速日尊の妃神(天香語山命の母)となります。

 

【15】天世平命(あまのよむけ) 久我直らの祖
 天世乎命なら、【12】と同じく久我氏の祖であるため、天背男命と同一神かもしれません。

 

【16】天斗麻弥命(あまのとまね) 額田部湯坐連らの祖
 姓氏録摂津国神別に天津彦根命の子とあり、天神系です。

 

【17】天背男命(あまのせなお) 尾張中島海部直らの祖
 【12】、【15】の天背男と同一神でしょうか。
【17】天背斗女命(あまのせとめ) 尾張中島海部直らの祖
 本によってはこの神名を採ることがあります。

 

【18】天玉櫛彦命(あまのたまくしひこ) 間人連らの祖
 姓氏録左京神別に玉櫛比古が神魂命の五世孫とあり、天神系であることが分かります。

 

【19】天湯津彦命(あまのゆつひこ) 安芸国造らの祖
 国造本紀の阿岐国造、白河国造の条に見えます。白河国造条では、「天降天由都彦命」とあって、天降ったことが強調される天神です。

 

【20】天神魂命(あまのかむたま 別名・三統彦命) 葛野鴨県主らの祖
 神魂命は「かむむすひ」とも読まれ、神産巣日神と同一視する説もあります。【5】天櫛玉命の系図もご覧下さい。

 

【21】天三降命(あまのみくだり) 豊田宇佐国造らの祖
 神代本紀に「天三降尊」が見えますが、同一神かどうか定かではありません。豊田は豊国の誤記でしょうか。

 

【22】天日神命(あまのひのかみ) 対馬県主らの祖
 対馬県主は、姓氏録未定雑姓・摂津国神別に津島直・津島朝臣が天児屋根命から出るとあり、中臣氏系と見ることができるかもしれません。

 

【23】乳速日命(ちはやひ) 広湍(広沸)神麻続連らの祖
【24】八坂彦命(やさかひこ) 伊勢神麻続連らの祖
 他に名前が見えず、未詳です。

 

【25】伊佐布魂命(いさふたま 別名・天活玉命) 倭久連らの祖
 姓氏録摂津国神別に、五十狭経魂命が角凝魂命の子であるとされ、天神系と分かります。

 

【26】伊岐志迩保命(いきしにほ) 山代国造らの祖
 伊岐志邇保命の名前は他には見えませんが、天孫本紀に胆杵磯丹穂命が饒速日尊の別名とあるので同一神かもしれません。姓氏録未定雑姓に山代直は天火明命の後裔とあります。

 

【27】活玉命(いくたま) 新田部直らの祖
 他に名前が見えず、未詳です。

 

【28】少彦根命(すくなひこね) 鳥取連らの祖
 似た名称をもつ少彦名命との異同は不明です。

 

【29】事湯彦命(ことゆつひこ) 畝尾連らの祖
 姓氏録和泉国神別に畝尾連は天児屋根命から出るとあり、中臣氏系と見ることもできます。

 

【30】(八意思兼神の子)表春命(うははる) 信乃阿智祝部らの祖
【31】天下春命(あまのしたはる) 武蔵秩父国造らの祖
 八意思兼神は記紀によって天神であることが分かり、国造本紀には知知夫国造条に名前が見えます。その子の、表春命、下春命は高橋氏文に「知々夫国造上祖、天上腹、天下腹人」とある人名と関係するものと思われ、天降ったことが分かります。

 

【32】月神命(つきのみたま) 壱岐県主らの祖
 姓氏録右京神別に壱岐直は天児屋根命から出るとあり、壱岐県主も中臣氏系かもしれません。

五部人(いつとものひと)

 天津麻良(あまつまら) 物部造らの祖
 姓氏禄の和泉国神別大庭造条に神魂命八世孫とあり、天神系と分かります。
 天勇蘇(あまのゆそ) 笠縫部らの祖
 天津赤占(あまつあかうら) 為奈部らの祖
 富々侶(ほほろ) 十市部首らの祖
 天津赤星(あまつあかほし) 筑紫弦田物部らの祖

伴領(とものみやつこ)

 二田造
 大庭造
 姓氏禄に神魂命八世孫・天津麻良命の後裔とあります。
 舎人造
 勇蘇造
 坂戸造

天物部(あまつもののべ)25部

二田物部 当麻物部
芹田物部 鳥見物部
横田物部 嶋戸物部
浮田物部 巷宜物部
足田物部 須尺物部
田尻物部 赤間物部
久米物部 狭竹物部
大豆物部 肩野物部
羽束物部 尋津物部
布都留物部 住跡物部
讃岐三野物部 相槻物部
筑紫聞物部 播麻物部
筑紫贄田物部  

二田物部と坂戸物部は姓氏録未定雑姓に、饒速日命が天降った時の従者「二田天物部」「坂戸天物部」の後裔とあります。

船長・梶取等

 天津羽原(あまつはばら) 船長 跡部首らの祖
 跡部首は他に見えませんが、河内の国の渋川郡跡部郷や、伊勢の国の安濃郡などには跡部の地名があり、それらのいずれかを率いた伴造でしょう。
また、跡部は阿刀部と等しく、阿刀物部と同じとも考えられています。姓氏禄摂津国神別、山城国神別の阿刀連は饒速日命の後裔とあるので、阿刀部も物部系と見れます。

 

 天津麻良(あまつまら) 梶取 阿刀造らの祖
 梶取は現代風にいえば操舵手、航海長のようなものでしょう。
阿刀造は後に連姓になり、天武朝には宿禰姓となっています。姓氏禄左京神別に「石上同祖」とあり、物部氏族であることがわかります。

 

 天津真浦(あまつまうら) 船子 倭鍛師らの祖
 古事記の天の岩戸の段に「鍛人・天津麻良」と、日本書紀の綏靖即位前紀に「倭鍛部・天津真浦」が見えます。それぞれ祭祀用の金属器(剣?)、鏃の製作と関係します。
武器の他に、船の金属部品や工具の製作、修理に携わったものでしょう。

 

 天津麻占(あまつまうら) 笠縫らの祖
 天都赤麻良(あまつあかまら) 曽曽笠縫らの祖
 船の帆などの製作にあたったものでしょうか。

 

 天津赤星(あまつあかほし) 為奈部らの祖
 応神三十一年八月紀に、イナ部が新羅系の船大工集団だったことが分かります。姓氏録未定雑姓に為奈部首は伊香我色乎命の六世孫・金連の後裔とあり、物部氏の配下に属していたようです。

五部人や天物部の名前のなかに、遠賀川流域を中心とした北部九州と、河内・和泉を中心とした畿内の地名と同じものが多く含まれています。
北部九州と近畿の地名の一致もあることから、饒速日の天降り神話を九州からの東遷を反映したものと見る説もあります。
〈北部九州と近畿の物部の住地〉