天璽瑞宝トップ > 先代旧事本紀の世界 > 現代語訳 > 巻一陰陽本紀

 巻第一 陰陽本紀 

陰陽本紀

天の祖神が伊奘諾尊(いざなきのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)に詔して仰せられた。
「豊葦原(とよあしはら)の豊かに稲穂の実る国がある。お前たちが行って治めなさい」
そうして、天瓊矛(あまのぬぼこ)を授けてご委任になった。

伊奘諾尊と伊弉冉尊とが詔を受けて、天浮橋(あまのうきはし)の上に立って、語り合って仰せになった。
「何か脂のようなものが浮かんでいる。そのなかに国があるだろうか」
そうおっしゃって、天瓊矛で下界を探って海原を得られた。そしてその矛を投げ下ろして海をかき回し、引き上げるとき、矛の先からしたたり落ちる潮が固まって島となった。
これを名づけて磤馭盧島(おのころしま)という。

そうして、天瓊矛を磤馭盧島の上にさし立てて、これをもって国の天の御柱とした。
伊奘諾尊・伊弉冉尊はその島に天降り、大きな御殿を造られて、共に住まわれた。

伊奘諾尊が伊弉冉尊に尋ねて仰せられた。
「あなたの体は、どのようにできているのか」
伊弉冉尊は答えて仰せられた。
「私の体はだんだん成りととのって、成り合わないところが一か所あります」

伊奘諾尊は仰せになった。
「私の体はだんだん成りととのって、成り余ったところが一か所ある。だから、私の成り余っているところを、お前の成り合わないところにさしふさいで、国土を生み出そうと思うがどうだろう」
伊弉冉尊は答えて仰せられた。
「それはよろしゅうございます」

そこで伊奘諾尊は仰せになった。
「それでは私とあなたと天の御柱を回って、出会って結婚しよう」
そう約束して仰せられた。
「あなたは左から回って、私は右から回って会おう」
約束どおり天の柱を分かれてめぐって行きあった。
伊弉冉尊が先に唱えて仰せられた。
「まぁ、何とすばらしい男の方に出会えたのでしょう」
伊奘諾尊がつぎに答えて仰せられた。
「おお、何とすばらしいおとめに出会えたのだろう」
伊奘諾尊が伊弉冉尊に告げて仰せられた。
「私は男子だ。順序は男から先にいうべきである。女が先に唱えるはよくないことだ。しかし、共に夫婦となって子を生もう」
こうして陰陽が始めて交合して、夫婦となって子を産んだ。

最初に生まれたのが水蛭子(ひるこ)である。この子は葦船に乗せて流し棄てた。次に淡島(あわしま)を生んだ。この子もまた御子の数には入れなかった。

伊奘諾尊、伊弉冉尊の二神が相談して仰せられた。
「いま、私たちの生んだ子は不吉だった。天に帰り上って、この様子を申しあげよう」
そこで、二人して天に上り、申し上げた。天の祖神は太占で占って詔された。
「女性が先に声をかけたのが良くなかったのだ。また改めて天降りなさい」
そうしていつがよいかを占って再び降った。

伊奘諾尊が仰せになった。
「私とあなたとで、改めて柱を回ろう。私は左から、お前は右から柱を回ってお互いが会ったところで交わろう」
こう約束されて、二神は約束どおり天の御柱を回り、同じところに出会われた。この時に伊奘諾尊が、まず唱えて仰せられた。
「おお、何とすばらしいおとめだろう」
伊弉冉尊は後に答えて仰せられた。
「まぁ、何とすばらしい男の方でしょう」

伊奘諾尊が伊弉冉尊に尋ねて仰せられた。
「あなたの体はどんなになっているか」
そして、仰せになった。
「私の体は、つくりあげられて成り余った、雄の元という所がある」
伊弉冉尊は答えて仰せられた。
「私の体は、つくりあげられて成り合わない、雌の元という所があります」
伊奘諾尊は仰せになった。
「私の体の成り余ったところで、お前の成り合わないところにさしふさいで、国土を産もうと思うが、どうだろう」
伊弉冉尊は答えて仰せられた。
「よろしゅうございます」

ここに、はじめて陰陽の神が交合し、国土を産もうとしたが、その方法を知らなかった。
このとき、鶺鴒(せきれい)が飛んできて、その頭と尻尾を振った。二神はそれを見習われて、交合の方法をお知りになった。

まず、淡路州(あわじのしま)をお産みになったが、不満足な出来だった。そのため淡路州という。「吾恥(あはじ)」の意である。

次に、伊予(いよ)の二名の州をお生みになった。ある書は「州」をみな「洲」と記している。
次に、筑紫(つくし)州をお生みになった。
次に、壱岐(いき)州をお生みになった。
次に、対馬州(つしま)をお生みになった。
次に、隠岐(おき)州をお生みになった。
次に、佐渡(さど)州をお生みになった。
次に、大日本豊秋津州(おおやまととよあきつしま)をお生みになった。
これによって、以上の生んだ島々を大八州(おおやしま)という。

その後、大八州を生んで帰られるときに、吉備(きび)の児島(こじま)をお生みになった。
次に、小豆島(あづきしま)をお生みになった。
次に、大島(おおしま)をお生みになった。
次に、姫島(ひめしま)をお生みになった。
次に、血鹿島(ちかのしま)をお生みになった。
次に、両児島(ふたこしま)をお生みになった。
あわせて六島になる。

合計十四の島をお生みになった。その他の所々にある小島は、すべて元は水の泡の潮が固まってできたものである。

まず、大八州をお生みになった。
兄として淡路の州をお生みになった。淡道の穂の狭別島(あわじのほのさわけのしま)という。
次に、伊予の二名島、この島は身体は一つで顔が四つあるという。それぞれの顔に名前がある。
 伊予国を愛比売(えひめ)という。[西南の隅]
 讃岐国を飯依比古(いいよりひこ)という。[西北の隅]
 阿波国を大宜都比売(おおげつひめ)という。[東北の隅]
 土佐国を速依別(はやよりわけ)という。[南東の隅]
次に、隠岐の三つ子の島を天の忍許呂別(あまのおしころわけ)という。
次に、筑紫の島、この島も身体は一つで顔が四つあるという。それぞれの顔に名前がある。
 筑紫国を白日別(しらひわけ)という。
 豊国を豊日別(とよひわけ)という。
 肥国を建日別(たけひわけ)という。
 日向国を豊久士比泥別(とよくしひねわけ)という。
次に、熊襲の国を建日別という。[一説には佐渡島を建日別という]
次に、壱岐島を天比登都柱(あまひとつはしら)という。
次に、津島を天の狭手依比売(あまのさてよりひめ)という。
次に、大倭豊秋津島を天御虚空豊秋津根折別(あまのみそらとよあきつねわけ)といいう。

次に、六つの小島をお生みになった。
兄の吉備の児島を建日方別(たけひかたわけ)という。
次に、小豆島を大野手比売(おおのてひめ)という。
次に、大島を大多麻流別(おおたまるわけ)という。
次に、姫島を天一根(あまひとつね)という。
次に、血鹿島を天の忍男(あまのおしお)という。
次に、両児島を天両屋(あまのふたや)という。

大八島すべてをお産みになった。続けて生まれた六つの小島と合わせて十四の島になる。その所々にある小島は、すべて水の泡の潮が固まってできたものである。


伊奘諾・伊弉冉の二神は、国を生み終えられて、さらに十柱の神をお生みになった。
まず大事忍男神(おおことおしおのかみ)をお生みになった。
次に、石土毘古神(いわつちひこのかみ)をお生みになった。
次に、石巣比売神(いわすひめのかみ)をお生みになった。
次に、大戸日別神(おおとひわけのかみ)をお生みになった。
次に、天の吹上男神(あまのふきかみおのかみ)をお生みになった。
次に、大屋比古神(おおやひこのかみ)をお生みになった。
次に、風木津別の忍男神(かざもつわけのおしおのかみ)をお生みになった。
次に、海神、名は大綿津見神(おおわたつみのかみ)[またの名を小童命(わたつみのみこと)]をお生みになった。
次に、水戸神(みなとのかみ)、名は速秋津彦神(はやあきつひこのかみ)[またの名を速秋田命(はやあきたのみこと)]をお生みになった。
次に、妹・速秋津姫神(はやあきつひめのかみ)をお生みになった。

また、この速秋津彦・速秋津姫の二神が、河と海を分担して十柱の神をお生みになった。
まず、沫那芸神(あわなぎのかみ)をお生みになった。
次に、泡那美神(あわなみのかみ)をお生みになった。
次に、頬那芸神(つらなぎのかみ)をお生みになった。
次に、頬那美神(つらなみのかみ)をお生みになった。
次に、天の水分神(あまのみくまりのかみ)をお生みになった。
次に、国の水分神(くにのみくまりのかみ)をお生みになった。
次に、天の久比奢母道神(あまのくひざもちのかみ)をお生みになった。
次に、国の久比奢母道神(くにのくひざもちのかみ)をお生みになった。
次に、山神、名は大山津見神(おおやまつみのかみ)[一説には大山祇神(おおやまつみのかみ)という]をお生みになった。
次に、野神、名は鹿屋姫神(かやのひめのかみ)[またの名を野推神(のつちのかみ)という]をお生みになった。

また、この大山祇神と野稚神(のつちのかみ)が山と野を分担して八柱の神をお生みになった。
まず、天の狭土神(あまのさづちのかみ)をお生みになった。
次に、国の狭土神(くにのさづちのかみ)をお生みになった。
次に、天の狭霧神(あまのさぎりのかみ)をお生みになった。
次に、国の狭霧神(くにのさぎりのかみ)をお生みになった。
次に、天の闇戸神(あまのくらとのかみ)をお生みになった。
次に、国の闇戸神(くにのくらとのかみ)をお生みになった。
次に、大戸或子神(おおとまといこのかみ)をお生みになった。
次に、大戸或女神(おおとまといめのかみ)をお生みになった。

また神をお生みになった。名を鳥の石楠船神(とりのいわくすふねのかみ)という。[または天鳥船神(あまのとりふねのかみ)という]。
また、大宜都比女神(おおげつひめのかみ)をお生みになった。

伊奘諾尊が仰せられた。
「私が生んだ国は、ただ朝霧がかかっているが、よい薫りに満ちている」
そうして霧を吹き払われると、その息が神になった。これを風神という。
風神を名づけて級長津彦命(しなつひこのみこと)という。
次に、級長戸辺神(しなとべのかみ)
次に、飢えて力のない時にお生みになった御子を、稲倉魂命(うかのみたまのみこと)と名づけた。
次に、草の祖をお生みになって、名づけて草姫(かやのひめ)という[またの名を野槌(のつち)という]。
次に、海峡の神たちをお生みになった。速秋日命(はやあきひのみこと)と名づけた。
次に、木の神たちをお生みになった。名づけて句々廼馳神(くくのちのかみ)という。
次に、土の神をお生みになった。名づけて埴山姫神(はにやまひめのかみ)という[また、埴安姫神(はにやすひめのかみ)ともいう]。
その後、ことごとくの万物をお生みになった。

伊奘諾尊・伊弉冉尊の二神は、共に相談して仰せになった。
「私たちはもう、大八州や山川草木を生んだ。どうして天下の主たる者を生まないでよかろうか」

そこでまず、日の神をお生みになった。
大日孁貴(おおひるめむち)という。または天照太神(あまてらすおおみかみ)といい、大日孁尊という。
この御子は、華やか光りうるわしくて、国中に照りわたった。それで、二柱の神は喜んで仰せられた。
「わが子たちは沢山いるが、いまだこんなにあやしく不思議な子はなかった。長くこの国に留めておくのはよくない。早く天に送り、天上の仕事をしてもらおう」
この時、天と地とはまだそれほど離れていなかった。そのため、天の御柱をたどって、天上に送り上げた。

次に、月の神をお生みになった。
名づけて月読尊(つくよみのみこと)という。または月夜見(つくよみ)、月弓(つくゆみ)という。
その光りうるわしいことは、太陽に次いでいた。それで日に副えて治めさせるのがよいと、天に送り上げた。

次に、素戔烏尊(すさのおのみこと)をお生みになった。
このかたは天下を治められるべきだったが、勇ましく荒々しくて、残忍なことも平気だった。
また、常に泣きわめくことがあった。そこで、国内の人々が若死にさせられた。また、青々とした山を枯れた山に変え、川や海の水をすっかり泣き乾してしまうほどだった。
そのために、禍いをおこす悪神のさわぐ声は、むらがる蠅のように充満し、あらゆる禍いが吹く風のごとく一斉に発生した。

次に、蛭児(ひるこ)をお生みになった。
三歳になっても脚が立たなかった。はじめ伊奘諾尊・伊弉冉尊が柱を回られた時に、女神が先に喜びの声をあげられた。それが陰陽の道理にかなっていなかった。そのため、終わりにこの御子が生まれた。
次に、鳥磐櫲樟船(とりのいわくすふね)をお生みになり、この船に蛭児を乗せて放流し棄てた。


伊弉冉尊が、火産霊迦具突智(ほのむすひかぐつち)[または火焼男命神(ほのやけおのみことのかみ)、または火々焼炭神(ほほやけずみのかみ)という]を生もうとされたとき、この子を生んだために、陰部が焼けて病の床にお伏しになった。

そうしてお亡くなりになろうとされるときに、熱に苦しめられた。そのため嘔吐し、これが神となった。名を金山彦神(かなやまひこのかみ)、次に金山姫神(かなやまひめ)という。
次に小便をされ、それが尿神となった。名を罔象女神(みつはのめのかみ)という。
次に大便をされ、それがまた屎神となった。名を埴安彦(はにやすひこ)と、埴安姫(はにやすひめ)という。
次に、天吉葛(あまのよさつら)をお生みになった。
次に、稚産霊神(わかむすひのかみ)をお生みになった。この稚産霊神の子を、豊宇気比女神(とようけひめのかみ)という。

火の神の軻遇突智(かぐつち)は土の神の埴安姫をめとって、稚皇産霊神(わかむすひのかみ)をお生みになった。この神の頭の上に蚕と桑が生じた。臍の中に五穀が生まれた。

伊弉冉尊は、火の神を生むときに、身体を焼かれてお亡くなりになった。
伊奘諾・伊弉冉の二神が共にお生みになった島は十四。神は四十五柱になる。ただし、磤馭盧島はお生みになったものではない。また、水蛭子(ひるこ)と淡島(あわしま)は子の数には入れない。

伊奘諾尊が深く恨んで仰せられた。
「愛しい私の妻は。ただ一人の子のために、愛しい私の妻を犠牲にしてしまった」
そして頭のあたりや、脚のあたりを這いずって、泣き悲しみ涙を流された。
涙は落ちて神となった。これが香山(かぐやま)の畝尾(うねお)の丘の樹の下にいらっしゃる神で、名を綺沢女神(なきさわのめのかみ)という。

伊奘諾尊はついに、腰に帯びた十握(とつか)の剣を抜いて軻遇突智の頸を斬り、三つに断たれた。また、五つに断たれた。また、八つに断たれた。

三つそれぞれが神になった。
そのひとつは雷神(いかつちのかみ)となった。
ひとつは大山祇(おおやまつみ)となった。
ひとつは高寵(たかおかみ)となった。

五つそれぞれが五つの山の神になった。
第一は首で、大山祇となった。
第二は胴体で、中山祇(なかやまつみ)となった。
第三は手で、麓山祇(はやまつみ)となった。
第四は腰で、正勝山祇(まさかやまつみ)となった。
第五は足で、雜山祇(しぎやまつみ)となった。

八つそれぞれが八つの山の神になった。
第一は首で、大山祇となった。[または正鹿山津見神(まさかやまつみのかみ)という]
第二は胴体で、中山祇となった。[または胸に生じた神で、瀬勝山津見神(せかつやまつみのかみ)という]
第三は腹で、奥山祇(おくやまつみ)となった。[または奥山上津見神(おくやまかみつみのかみ)という]
第四は腰で、正勝山祇となった。[または陰部に生じた神で、闇山津見神(くらやまつみのかみ)という]
第五は左手で、麓山祇となった。[または志芸山津見神(しぎやまつみのかみ)という]
第六は右手で、羽山祇(はやまつみ)となった。[または羽山津見神(はやまつみのかみ)という]
第七は左足で、原山祇(はらやまつみ)となった。[または原山津見神(はらやまつみのかみ)という]
第八は右足で、戸山祇(へやまつみ)となった。[または戸山津見神(へやまつみのかみ)という]

また、剣のつばからしたたる血がそそいで神となった。湯津石村(神聖な岩の群れ)に飛び散って成り出た神を、天尾羽張神(あまのおはばりのかみ)という。[またの名を稜威雄走神(いつのおはしりのかみ)、または甕速日神(みかはやひのかみ)、または熯速日神、または槌速日神(つちはやひのかみ)という]
今、天安河(あまのやすかわ)の上流にいらっしゃる、天窟之神(あまのいわとのかみ)である。

天尾羽張神の子が建甕槌之男神(たけみかつちのおのかみ)である。[またの名を建布都神(たけふつのかみ)、または豊布都神(とよふつのかみ)]
今、常陸国(ひたちのくに)の鹿島にいらっしゃる大神で、すなわち石上(いそのかみ)の布都大神(ふつのおおかみ)がこれである。

また、剣の先からしたたる血がそそいで神となった。血が湯津石村に飛び散って、成り出た神を、磐裂根裂神(いわさくねさくのかみ)という。

磐裂根裂神の子の、磐筒男(いわつつお)・磐筒女(いわつつめ)の二神が共に生んだ神の子が、経津主神(ふつぬしのかみ)である。
今、下総国(しもつふさのくに)の香取にいらっしゃる大神がこれである。

また、剣の柄頭からしたたる血がそそいで三柱の神となった。
名を、闇寵(くらおかみ)、次に闇山祇(くらやまつみ)、次に闇罔象(くらみつは)という。

このとき斬られた血がそそいで、石や砂や草木が染まった。これが砂や石自体が燃えることのある由来である。


伊奘諾尊(いざなきのみこと)は、妻の伊弉冉尊(いざなみのみこと)に会いたいと思われて、後を追って黄泉の国に行かれ、殯斂(もがり)のところにおいでになった。
伊弉冉尊は御殿の戸を上げ出で向かい、生きていたときのように出迎えられて共に語りあわれた。

伊奘諾尊は仰せられた。
「あなたが愛しくてやってきた。愛しいわが妻のみことよ、私とあなたとで造った国は、まだ造り終えていない。だから私のもとへ帰ってきておくれ」
伊弉冉尊が答えて仰せになった。
「残念なことです、わが夫のみこと。いらっしゃるのが何とも遅すぎました。私はもう、黄泉の国の食べ物を食べてしまいました。そして私はもう眠ろうとするところです。けれども愛しいあなたが、わざわざ訪ねてきてくださったことは恐れいります。ですから帰りたいと思いますので、しばらく黄泉の神と相談してみましょう。私を見ないでください」
こうおっしゃって女神は、その御殿の中に入っていかれたが、その間が大変長く、男神は待ちきれなくなってしまった。

伊奘諾尊は見てはならないという願いを聞かれなかった。そのとき暗かったので、左の御髻(みずら)に挿していた湯津爪櫛(神聖な爪櫛)の、太い歯の一本を折り取って、手灯として一片の火をともしてご覧になった。
今の世の人が、夜ひとつの火をともすことを忌み、また夜、櫛を投げることを忌むのは、これがその由来である。

伊弉冉尊は、死体がふくれ上がって蛆がたかっていた。
その上に八種類の雷があった。
頭には大雷(おおいかずち)、胸には火雷(ほのいかずち)がおり、腹には黒雷(くろいかずち)がおり、陰部には列雷(さくいかずち)がおり、左手には稚雷(わかいかずち)がおり、右手には土雷(つちいかずち)がおり、左足には鳴雷(なきいかずち)がおり、右足には伏雷(ふしいかずち)がいた。

伊奘諾尊はたいへん驚いて仰せられた。
「私は思いがけないひどく汚い国にやってきた」
そうして、急いで逃げ帰られました。
伊弉冉尊は恨んで仰せられた。
「約束を守らず、私を辱しめましたね。あなたは私の本当の姿を見てしまわれた。私もまた、あなたの本当の心を見ました」
伊奘諾尊は恥じられて、出て帰ろうとするとき、ただ黙って帰らないで誓って仰せになった。
「縁を切ろう」

伊弉冉尊は泉津醜女(よもつしこめ)を遣わして、追いかけさせて留めようとした。
伊奘諾尊は剣を抜いて後ろを振り払いながら逃げた。そして髪に巻いていた鬘草(かつら)の飾りを投げられると、これは葡萄になった。醜女はこれを見て、採って食べた。食べ終わると、また追いかけてきた。

伊奘諾尊はまた、右の髪に挿していた湯津爪櫛を投げた。これは筍(たけのこ)になった。醜女はそれを抜いて食べた。食べ終わるとまた追いかけてきた。

伊奘諾尊はそこから逃げられたが、その後には、八種の雷神が千五百の黄泉の兵を率いて追跡してきた。そこで帯びている十握の剣を抜いて、後ろ手に振りながら逃げ走られた。

伊奘諾尊は、大樹にむかって放尿された。これが大きな川となった。泉津日狭女(よもつひさめ)がこの川を渡ろうとする間に、伊奘諾尊は逃げて黄泉平坂(よもつひらさか)に着かれた。
そこに生っていた桃の木の陰に隠れて、その実を三つ取って待ちうけ、投げつけたところ、黄泉の雷の兵はことごとく退散した。これが、桃を使って鬼を防ぐ由来である。

伊奘諾尊は、桃の実に詔して仰せられた。
「お前が私を助けたように、葦原の中国に生きるあらゆる現世の人々がつらい目にあって、憂い苦しんでいるときに助けてやるように」
そういわれて、意富迦牟都美命(おおかむつみのみこと)という名前をお与えになった。

最後に、伊弉冉尊自身が、泉都平坂(よもつひらさか)へ追いかけて来たときに、伊奘諾尊はその杖を投げて仰せられた。
「ここからこちらへは、雷の兵は来ることができない」
伊奘諾尊はまた、泉津平坂に千人引きの岩で、その坂道をふさぎ、岩を間に置いて伊弉冉尊と向かい合って、ついに離婚の誓いを立てられた。

その離別の言葉を交わされるとき、伊弉冉尊は誓って仰せられた。
「あなたには負けません」
そして唾をはかれた。そのとき生じた神を、名づけて日速玉之男神(ひはやたまのおのかみ)という。次に、掃きはらって生まれた神を泉津事解之男神(よもつことさかのおのかみ)と名づけた。

伊弉冉尊が仰せられた。
「愛しいわが夫のみこと、あなたがそのように別れの誓いをいわれるのならば、私はあなたが治める国の民を、一日に千人ずつ絞め殺しましょう」
伊奘諾尊は答えて仰せられた。
「愛しいわが妻よ、そのようにいうのならば、私は一日に千五百人ずつ生ませることにしよう」
こういうわけで、一日に千人の人が必ず死ぬ一方、一日に千五百人の人が必ず生まれるのである。

伊奘諾尊がこれによって仰せられた。
「これより入ってはならぬ」
そうして、三柱の神をお生みになった。その杖を投げられた。これを岐神(ふなとのかみ)という。名づけて来名戸神(くなとのかみ)という。
また、その帯を投げられた。これを長道磐神(ながちいわのかみ)という。
また、その履(くつ)を投げられた。これを道敷神(ちしきのかみ)という[または煩神(わずらいのかみ)といい、または開歯神(あきくいのかみ)という]。

伊弉冉尊を、黄泉津大神という。また、伊奘諾尊に追いついてきたので、道敷大神(ちしきのおおかみ)と呼ぶ。
また、その黄泉の坂を塞ぐ岩を、道反大神(ちがえしのおおかみ)と呼ぶ。また、塞いでいる岩を、泉門塞之大神(よみどもさやりますおおかみ)という。また、塞坐黄泉戸大神(さやりますよみどのおおかみ)という。

伊奘諾・伊弉冉の二神が、また、その妻と泉津平坂で相争ったとき、伊奘諾尊が仰せになった。
「はじめあなたのことを悲しみ慕ったのは、私の気が弱かったからだ」
このとき泉守道者(よもつちもりびと)が申しあげていった。
「伊弉冉尊からのご伝言があります。“私はあなたと既に国を生みました。どうして更にこの上生むことを求めましょうか。私は、この国にとどまって、ご一緒には参りません”といわれました」
このとき、菊理媛神(くくりひめのかみ)もまた、申しあげることがあった。
伊奘諾尊は、これをお聞きになり、ほめられた。そうして去られた。
今の人が忌むことに、先に妻が死んだとき、夫が殯(もがり)のところを避けるのは、これが始まりであろうか。

そのいわゆる泉津平坂というのは、また別のところにあるのではない。ただ死に臨んで息絶えそうなときをこういうのであろうか。出雲国の伊賊夜坂(いふやさか)であるともいう。

伊弉冉尊は、出雲国と伯耆国との境にある、比婆之山(ひばのやま)に葬った。
伊弉冉尊は、紀伊国の熊野の有馬村に葬った。土地の人がこの神の御魂を祀るのには、花の時期に花をもってお祀りし、鼓・笛・旗を使って歌舞してお祀りする。



伊奘諾尊(いざなきのみこと)は、みずから黄泉の国をご覧になった。これは不祥であった。帰って悔いて仰せられた。
「私はさきに、ひどく穢れたところへ行ってきた。だから、私の体についた汚れたものを洗い捨て、すすぎ除こう」
出かけられて粟門(あわのと)と速吸名門(はやすいなと)をご覧になった。ところが、この二つの海峡は潮の流れがとても急だった。
そこで、日向の橘の小戸(川の落ち口)の、檍原(あわぎはら)に帰られて祓ぎはらわれた。

身体の汚いところをすすごうとして、言葉に出していわれて男神は黄泉の穢れを祓おうとした。日向の橘の小戸の、檍原に行かれて、身体を祓ぎはらわれた。
このとき、十二柱の神が生まれた。
まず、投げ捨てた杖から成った神の名は、衝立船戸神(つきたてふなとのかみ)
次に、投げ捨てた帯から成った神の名は、道長乳歯神(ちのながちはのかみ)
次に、投げ捨てた裳から成った神の名は、時置師神(ときおかしのかみ)
次に、投げ捨てた衣から成った神の名は、和内良比能宇斯能神(わづらひのうしのかみ)
次に、投げ捨てた袴から成った神の名は、道股神(ちまたのかみ)
次に、投げ捨てた御冠から成った神の名は、飽咋の宇斯能神(あきぐいのうしのかみ)
次に、投げ捨てた左の御手の腕輪から成った神の名は、奥疎神(おきざかるのかみ)
名づけて奥津那芸佐彦神(おきつなぎさひこのかみ)という。
次に、奥甲斐弁羅神(おきつかひべらのかみ)
次に、投げ捨てた右の御手の腕輪から成った神の名は、辺疎神(へざかるのかみ)
名づけて辺津那芸佐彦神(へつなぎさひこのかみ)という。
次に、辺津甲斐弁羅神(へつかひべらのかみ)

伊奘諾尊が仰せになった。
「上の瀬は流れが速い。下の瀬は流れがおそい」
はじめ、中ほどの瀬で穢れを洗い清められたときに、二柱の神が成り出た。
その神の名は、八十禍津日神(やそまがつひのかみ)
次に、大禍津日神(おおまがつひのかみ)
また、その禍を直そうとして三柱の神が成り出た。
その神の名は、神直日神(かむなおびのかみ)
次に、大直日神(おおなおびのかみ)
次に、伊豆能売神(いづのめのかみ)

また、水に入って磐土命(いわつつのみこと)を吹き出された。
次に、水から出て大直日命(おおなおびのみこと)を吹き出された。
また入って、底土命(そこつつのみこと)を吹き出された。
次に出て、大綾津日神(おおあやつひのかみ)を吹き出された。
また入って、赤土命(あかつつのみこと)を吹き出された。
次に出て、大地と海原の諸々の神を吹き出された。

また、海の底にもぐってすすいだときに、それによって二柱の神が生まれた。
名づけて、底津少童命(そこつわたつみのみこと)という。
次に、底筒男命(そこつつおのみこと)という。
また、潮の中にもぐってすすいだことによって二柱の神が生まれた。
名づけて、中津少童命(なかつわたつみのみこと)という。
次に、中筒男命(なかつつおのみこと)という。
また、潮の上に浮かんですすいだことによって二柱の神が生まれた。
名づけて、表津少童命(うわつわたつみのみこと)という。
次に、表筒男命(うわつつおのみこと)という。
あわせて六柱の神がいらっしゃる。

この底津少童命、中津少童命、表津少童命の三神は、阿曇連(あずみのむらじ)らがお祀りする、筑紫の斯香神(しかのかみ)である。
底筒男命、中筒男命、表筒男命の三神は、津守連(つもりのむらじ)がお祀りする、住吉の三社の神である。

伊奘諾尊が身体をすすがれたときに三柱の神が生まれた。
左の御目を洗われたときに成った神の名は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)
右の御目を洗われたときに成った神の名は、月読命(つくよみのみこと)
この二柱の神は、並びに五十鈴川の河上にいらっしゃる。伊勢にお祀りする大神という。
御鼻を洗われたときに成った神の名は、建速素戔烏尊(たけはやすさのおのみこと)
出雲国の熊野神宮と杵築(きつき)神宮にいらっしゃる。

伊奘諾尊はたいそう喜ばれて仰せになった。
「私が生んだ子を生み終わるときに、三柱の尊い子を得た」
その御首の首飾りの玉の緒を、ゆらゆらと揺り鳴らしてお授けになった。その御首飾りの珠に詔して名を授け、御倉板挙神(みくらたなあげのかみ)という。

伊奘諾尊が天照大御神に詔して、
「あなたは高天原を治めなさい」
とご委任になった。
次に、月読命に詔して、
「あなたは夜の世界を治めなさい」
とご委任になった。
次に、素戔烏尊に詔して、
「あなたは海原を治めなさい」
とご委任になった。

こうして、それぞれご委任になられたお言葉にしたがってお治めになったが、その中で速素戔烏尊だけは、委任された国を治めずに、長い顎髭が胸元にとどくようになるまで、ずっと泣きわめいていた。

伊奘諾尊は仰せになった。
「私は天下を治めるべきすぐれた子を生もうと思う」
そうして三柱の神が成り出た。
左手で白銅鏡をお取りになったときに、生まれた神を大日孁尊という。
右手で白道鏡をお取りになったときに、生まれた神を月弓尊(つくゆみのみこと)という。
首を回して後ろをご覧になったときに、生まれた神を素戔烏尊という。
このうち、大日孁尊と月弓尊は共にひととなりが麗しいのに対して、素戔烏尊は性質が物をそこない壊すのを好むところがあった。そこで、くだして根の国を治めさせた。

伊奘諾尊は三柱の子に任じて仰せられた。
「天照太神は高天原を治めなさい。月読尊は青海原の潮流を治めなさい」
月読尊は後に、日の神に副えて天のことを掌り、夜の世界を治めさせた。
素戔烏尊には、天下および青海原を治めさせた。

素戔烏尊は歳もたけ、また、長い髭が伸びていた。けれども、統治を委任された天下を治めず、いつも泣き恨んでいた。
伊奘諾尊がそのわけを尋ねて仰せられた。
「お前はなぜ、いつもこんなに泣いているのか」
素戔烏尊は答えて申しあげられた。
「私は母のいる根の国に従いたいと思って、ただ泣くのです」
伊奘諾尊は、これを憎んで仰せられた。
「勝手にしろ」
そうして素戔烏尊は親神のもとを退いた。

伊奘諾尊が、素戔烏尊に詔して仰せられた。
「どうゆうわけで、私の委任した国を治めないで、泣きわめいているのか」
素戔烏尊は申しあげた。
「私は亡き母のいる根の堅州国に参りたいと思うので、泣いているのです」
伊奘諾尊は、ひどく怒って仰せになった。
「お前はたいへん無道だ。だから天下に君臨することはできない。この国に住んではならない。必ず遠い根の国に行きなさい」
そしてついに追いやられた。

素戔烏尊が請い申しあげて仰せになった。
「私はいま、ご命令に従って、根の国に参ろうとします。そこで高天原に参って、姉のみことにお目にかかり、その後お別れしようと思います」
伊奘諾尊が「許す」と仰せになったので、天に昇られた。

伊奘諾尊は、お仕事をすでに終えられ、徳も大きかった。神としての仕事を終えられて、天に帰られてご報告され、日の少宮(わかみや)に留まりお住みになられた。
また、あの世に赴こうとされた。そこで、幽宮(かくれのみや)を淡路の地に造って、静かに永く隠れられた。また、淡路の多賀(たが)にいらっしゃるともいう。

《神代本紀   《もどる》   神祇本紀》