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物部万葉歌

万葉集の中の、「物部」関係者の歌を紹介します。


 

物部を名のる防人の歌

物部秋持
物部古麻呂
物部乎刀良
物部竜
物部道足
物部真島
物部歳徳
物部広足
物部真根、椋椅部弟女
藤原部等母麻呂、物部刀自売

石上氏の歌

石上大臣の従駕にして作れる歌
志賀に幸す時に石上卿の作れる歌
石上大夫の歌
石上乙麻呂朝臣の歌
石上乙麻呂卿、土佐の国に配さゆる時の歌
式部大輔石上堅魚朝臣の歌
五年正月四日、治部少輔石上朝臣宅嗣の家に宴せる歌


 

高橋虫麻呂の歌

不盡山を詠ふ歌
四年壬申、藤原宇合卿の西海道節度使に遣さるる時に高橋連虫麻呂の作る歌
筑波の山に登らざりしことを惜しむ歌
上総の末の珠名娘子を詠む
水江の浦島の子を詠む
河内の大橋を独り去く娘子を見る歌
武蔵の小埼の沼の鴨を見て作る歌
那賀郡の曝井の歌
手綱の浜の歌
春三月、諸卿大夫等の難波に下りし時の歌
難波に経宿りて明日還り来し時の歌
検税使大伴卿の筑波山に登りし時の歌
霍公鳥を詠む
筑波山に登る歌一首
筑波嶺に登りて嬥歌会をする日に作る歌
鹿島郡の刈野の橋にして大伴卿に別るる歌
勝鹿の真間娘子を詠む歌
菟原処女の墓を見る歌

 

 物部を名のる防人の歌


 畏きや 命被り 明日ゆりや 草がむた寝む 妹無しにして 
[4321]

(原文) 可之古伎夜 美許等加我布理 阿須由利也 加曳我牟多祢牟 伊牟奈之尓志弖

〈畏れ多いことに天皇の命令を受けて任地に行くので、明日からは萱といっしょに寝ることになるだろう…妻がいないので〉

遠江国長下郡の国造丁・物部秋持の作です。



 わが妻も 絵に描きとらむ いつまもが 旅行くあれば 見つつ偲はむ
[4327]

(原文) 和我都麻母 畫尓可伎等良無 伊豆麻母加 多妣由久阿礼波 美都々志努波牟

〈妻の姿を絵に描きうつす暇があったらよかったのに。そうしたら、旅出つ私はそれを見ながら妻をしのぶだろうに〉

遠江国長下郡の物部古麻呂の作です。



 わが母の 袖持ち撫でて わが故に 泣きし心を 忘らえぬかも 
[4356]

(原文) 和我波々能 蘇弖母知奈弖氐 和我可良尓 奈伎之許己呂乎 和須良延努可毛

〈懐かしい母さんが、その袖で私を撫でて、私のために泣いてくれた、あの慈しみの心が忘れられない〉

上総国山辺郡の上丁、物部乎刀良の作です。



 大君の 命かしこみ 出で来れば 我の取りつきて 言ひし子なはも 
[4358]

(原文) 於保伎美乃 美許等加志古美 伊弖久礼婆 和努等里都伎弖 伊比之古奈波毛

〈天皇のご命令をかしこみ、防人に出ようとすると、私に取りついて別れたくないといって泣いた、いとしいお前よ〉

 上総国周准郡の上丁・物部竜の作です。



 おし照るや 難波の津より 船装ひ 吾は漕ぎぬと 妹に告ぎこそ 
[4365]

(原文) 於之弖流夜 奈尓波能都由利 布奈与曽比 阿例波許藝奴等 伊母尓都岐許曽

〈照り輝く難波の港、この港から船出の準備をして、私はいま漕ぎ出してゆくと、故郷のあの子に伝えておくれ〉

 常陸国信太郡の物部道足の作です。難波津から筑紫へ立とうとする直前の歌。


 常陸さし 行かむ雁もが 我が恋を 記して附けて 妹に知らせむ [4366]

(原文) 比多知散思 由可牟加里母我 阿我古比乎 志留志弖都祁弖 伊母尓志良世牟

〈ふるさとの常陸をさして飛んで行く雁がいればいい、
そうしたら、私のこの心を書いて雁に託して、あの娘に知らせように〉

 おなじく物部道足の作です。



 松の木の 並みたる見れば 家人の われを見送ると 立たりしもころ [4375]

(原文) 麻都能氣乃 奈美多流美礼波 伊波妣等乃 和例乎美於久流等 多々理之母己呂

〈松の木が立ち並んでいるのを見ると、家の者が私を見送るためにたっていた姿を思い出す〉

 下野国の火長・物部真島の作です



▲ 物部真島の歌を刻んだ万葉歌碑です。栃木県下野市国分寺の、しもつけ風土記の丘(天平の丘公園)内にあります。



 白玉を 手に取り持して 見るのすも 家なる妹を またみてももや [4415]

(原文) 志良多麻乎 弖尓刀里母之弖 美流乃須母 伊弊奈流伊母乎 麻多美弖毛母也

〈真珠を手にとって愛でるように家に残してきた妻をまた見たいものだ〉

 武蔵国荏原郡の主帳・物部歳徳の作です。



 わが門の 片山椿 まこと汝 わが手触れなな 地に落ちもかも [4418]

(原文) 和我可度乃 可多夜麻都婆伎 麻己等奈礼 和我弖布礼奈々 都知尓於知母加毛

〈わが門に咲く椿よ、本当におまえに私の手を触れたいのだが、その前に地に落ちてしまうのではないか〉

武蔵国荏原郡の上丁・物部広足の作。椿の花を妻にたとえて、留守の間に他人の女になってしまうことを恐れる想いをうたったようです



 家ろには 葦火たけども 住みよけを 筑紫にいたりて 恋しけ思(も)はも [4419]

(原文) 伊波呂尓波 安之布多氣騰母 須美与氣乎 都久之尓伊多里弖 古布志氣毛波母

〈わが家では、葦を焚くような貧しい暮らしをしているけれども、住み心地はいい。遠い筑紫に行ったなら、恋しく思い出すだろうな〉

 武蔵国橘樹郡の上丁・物部真根の歌です。貧しいけれど、平和な生活がしのばれます


 草枕 旅の丸寝の 紐絶えば あが手と付けろ これの針持し [4420]

(原文) 久佐麻久良 多妣乃麻流祢乃 比毛多要婆 安我弖等都氣呂 許礼乃波流母志

〈長い旅路のごろ寝で着物の紐が切れたら、私の手だと思ってつけてください、この針でもって〉

上の物部真根の妻、椋椅部弟女の歌です。旅立つ夫を想うこころくばりがにじみ出ます。二首合わせると、出発の前夜の囲炉裏端の夫婦の様子が目にうかぶようです



 足柄の 御坂に立して 袖振らば 家なる妹(いも)は さやに見もかも [4423]

(原文) 安之我良乃 美佐可尓多志弖 蘇埿布良波 伊波奈流伊毛波 佐夜尓美毛可母

〈足柄の御坂に立って袖を振ったら、家にいるあなたは、はっきり見てくれるだろうか〉

 埼玉郡の上丁、藤原部等母麻呂の歌。下の物部刀自売の夫です。埼玉県行田市に藤原町があります。足柄峠は東の国を見納める地で、難所


 色深く 背なが衣は 染めましを 御坂たばらば 清かに見む [4424]

(原文) 伊呂夫可久 世奈我許呂母波 曽米麻之乎 美佐可多婆良婆 麻佐夜可尓美無

〈うちの人の着物をもっと色濃く染めておいたらよかったわ。御坂を越えていくときに、はっきりと見られたでしょうに〉

物部刀自売の歌です



▲ 藤原部等母麻呂と物部刀自売の歌を刻んだ歌碑です。埼玉県行田市藤原町の八幡山古墳の公園内にあります。
八幡山古墳は『聖徳太子伝暦』に見える太子の舎人、物部連兄麻呂の墓と見る説があります。
埼玉県埋蔵文化財インフォメーションシステム「埼玉の遺跡マップ」によると、同地には「防人藤原部等母麿遺跡」なる奈良時代の遺跡があるとか…


  石上氏の歌


石上の大臣の、従駕にして作れる歌

 吾妹子を 去来見の山を 高みかも 大和の見えぬ 国遠みかも [44]

(原文) 吾妹子乎 去来見乃山乎 高三香裳 日本能不所見 國遠見可聞

〈恋しい妻を、いざ見ようとするけれど、その去来見山という名前の山が高いからだろうか、それとも国が遠く離れているからだろうか、ふるさとの大和は見えない…〉

石上麻呂が、持統六年の伊勢行幸の時に歌った歌です。柿本人麻呂の三首、当麻麻呂の妻の一首に続いてあります。
当麻麻呂の妻の歌
「我が背子はいづく行くらむ沖つ藻の名張の山を今日か越ゆらむ」
とセットで収録されたのでしょうか。



志賀に幸す時に、石上卿の作れる歌一首

 ここにして 家やもいづち 白雲の たなびく山を 越えて来にけり [287]

(原文) 此間為而 家八方何處 白雲乃 棚引山乎 超而来二家里

〈ここにあって、故郷はどの方角だろうか、白雲のたなびく山々を越えて来たのだなぁ〉

作者は不明。「卿」とあることから、石上麻呂か石上乙麻呂のいずれかと見られます。



石上大夫の歌の一首

 大船に 真楫(まかじ)しじ貫(ぬ)き 大君の 命かしこみ 磯廻するかも [368]

(原文) 大船二 真梶繁貫 大王之 御命恐 礒廻為鴨

〈我らは大船に櫂をたくさん取り付けて、天皇のご命令のままに磯から磯へと漕ぎまわることだ〉

石上乙麻呂が越前の国守として赴任したときの歌です。途中まで同道してきた笠金村の望郷の歌に続けてあります。
故郷の大和を離れるのはさびしいけれど、お仕事は頑張るぞ!という決意でしょうか。
これに対する金村の返事の歌が、「物部の臣の壮士は大君の任けのまにまに聞くといふものぞ」で、「代々もののふとして仕えてきた物部の臣たる男子は、まさに天皇のご命令のままに立ち働くものだ」とその決意をほめたたえています。



石上乙麻呂朝臣の歌

 雨降らば 著(き)むと念へる 笠の山 人にな著しめ 濡れはひづとも [374]

(原文) 雨零者 将盖跡念有 笠乃山 人尓莫令盖 霑者漬跡裳

〈雨が降ったらかぶろうと思っている笠という名の山よ、他人には着せてはいけないよ。たとえその人がびしょびしょに濡れようとも〉

山部赤人の長歌と、その反歌に続けてあります。赤人の歌が「春日野に登りて作る歌」なので「笠の山」は三笠山なのでしょう。
山を女性に見立てて、私だけに笠をくださいね、と呼びかけるちょっとお遊びっぽい感じの歌です。



石上乙麻呂卿、土佐の国に配さゆる時の歌・三首

 石上 布留の命(みこと)は たわや女の 惑ひによりて 馬じもの 縄取り付け 鹿猪じもの 弓矢囲みて 大君の 命畏み 天離る 鄙辺に罷る 古衣 真土の山より 帰り来ぬかも [1019]

(原文) 石上 振乃尊者 弱女乃 或尓縁而 馬自物 縄取附 肉自物 弓笶圍而 王 命恐 天離 夷部尓退 古衣 又打山従 還来奴香聞

〈石上の乙麻呂様は女にまよったことによって、馬のように縄をつけられ、猪のように弓矢にかこまれて、天皇のご命令をかしこみ、都から遠く離れたところへおいでになった。どうぞ赦されて真土山を通り早く帰っていらっしゃるように〉

天平十一年、藤原宇合の未亡人・久米若売と通じた罪で乙麻呂が土佐に配流になったときの、乙麻呂の妻の歌といいます。真土山は大和と紀伊の境にある山です。


 大君の 命畏み さし並ぶ 国に出でます はしきやし 我が背の君を かけまくも ゆゆし畏し 住吉の 現人神 船舳に うしはきたまひ 着きたまはむ 島の崎々 寄りたまはむ 磯の崎々 荒き波 風にあはせず 障みなく 病あらせず 速けく 帰したまはね もとの国辺に [1020・1021]

(原文) 王 命恐見 刺並 國尓出座 愛耶 吾背乃公矣 繋巻裳 湯々石恐石 住吉乃 荒人神 船舳尓 牛吐賜 付賜将 嶋之埼前 依賜将 礒乃埼前 荒浪 風尓不令遇 莫管見 身疾不有 急 令變賜根 本國部尓

〈天皇のご命令をかしこみ土佐へ行かれるわが夫を、口にかけるのも畏れ多いことですが、住吉の神様が船の舳に鎮座されて夫が着かれるでしょう島の崎々、夫が寄られるでしょう磯の崎々ごとに、荒い波にも風にも遇わずにつつがなく、病気にもかからず早くおかえしくださいませ。もとの国のほうへ〉

これも乙麻呂の妻の歌といいます。


 父君に 我れは愛子ぞ 母刀自に 我れは愛子ぞ 参ゐ上る 八十氏人の 手向けする 畏の坂に 幣奉り 我はぞ追へる 遠き土佐道を [1022]

(原文) 父公尓 吾者真名子叙 妣刀自尓 吾者愛兒叙 参昇 八十氏人乃 手向為 恐乃坂尓 幣奉 吾者叙追 遠杵土左道矣

〈父君のためには私は愛児であるよ、母君のためには私は愛児であるよ、都へのぼってゆく人々が無事を祈って手向けして越える恐坂にその私が幣を奉り、遠い土佐へ行く道をくだってゆくのだ〉

乙麻呂の歌です。しかし、彼の父(石上麻呂)は20年以上前に亡くなっているはず…



式部の大輔石上堅魚朝臣の歌一首

 ほととぎす 来鳴きとよもす 卯の花の 共にや来しと 問はましものを [1472]

(原文) 霍公鳥 来鳴令響 宇乃花能 共也来之登 問麻思物乎

〈ほととぎすが来て鳴いている、卯の花の咲くのとともに亡き人の魂もさまよい来たのではなかろうか、聞いてみたいものだ〉

神亀五年の歌。大伴旅人の妻・大伴郎女の亡くなったときに、弔問の勅使として使わされたときのものです。大伴旅人の「橘の花散る里のほととぎす片恋しつつ鳴く日しそ多き」が続きます。


五年正月四日、治部の少輔石上朝臣宅嗣の家に宴せる歌三首

 事繁み 相問はなくに 梅の花 雪にしをれて うつろはむかも [4282]

(原文) 辞繁 不相問尓 梅花 雪尓之乎礼氐 宇都呂波牟可母

〈仕事が多く、お宅に伺わないでいるうちに梅の花は雪にしおれて盛りが過ぎてしまうことでしょうね〉

天平勝宝五年の歌。茨田王と道祖王の二首が続きます。
道祖王はこの後、天平勝宝八年に聖武上皇の遺詔により皇太子となりますが、天平宝字元年には廃され、橘奈良麻呂の乱に関与したとして放逐されました。宅嗣と交流のあった点、興味深いです。

 


  高橋虫麻呂の歌

不盡山を詠ふ歌一首 [并せて短歌]

 なまよみの 甲斐の国 うち寄する 駿河の国と こちごちの 国のみ中ゆ 出で立てる 富士の高嶺は 天雲も い行きはばかり 飛ぶ鳥も 飛びも上らず 燃ゆる火を 雪もち消ち 降る雪を 火もち消ちつつ 言ひもえず 名づけも知らず くすしくも います神かも せの海と 名づけてあるも その山の つつめる海そ 富士川と 人の渡るも その山の 水のたぎちそ 日の本の 大和の国の 鎮めとも います神かも 宝とも なれる山かも 駿河なる 不盡の高嶺は 見れど飽かぬかも [319]

(原文) 奈麻余美乃 甲斐乃國 打縁流 駿河能國与 己知其智乃 國之三中従 出立有 不盡能高嶺者 天雲毛 伊去波伐加利 飛鳥母 翔毛不上 燎火乎 雪以滅 落雪乎 火用消通都 言不得 名不知 霊母 座神香聞 石花海跡 名付而有毛 彼山之 堤有海曽 不盡河跡 人乃渡毛 其山之 水乃當焉 日本之 山跡國乃 鎮十方 座祇可間 寳十方 成有山可聞 駿河有 不盡能高峯者 雖見不飽香聞

〈甲斐の国と駿河の国との、ふたつの国のまんなかからそびえ立っている富士山は、空の雲も妨げられて進めず、飛ぶ鳥も飛び上がれず、燃える火を雪で消し、降る雪を火で消しつつ、とても言葉ではあらわせず、名づけようもできないほどに、霊妙な神の山だ。石花の海と名づけている湖もその山が塞きとめた湖だ。富士川といって人の渡る川も、その山からの水のはげしさだ。日の本の大和の国の鎮めとしてあられる神だよ。宝として大切に思われている山だよ。この駿河の富士の高嶺は、どんなに見ても見飽ることはない〉


  不盡の嶺に 降り置く雪は 六月の 十五日に消ぬれば その夜降りけり [320]

(原文) 不盡嶺尓 零置雪者 六月 十五日消者 其夜布里家利

〈富士の嶺に積もっている雪は、六月の十五日に消えると、その夜すぐまた降るという〉


  不盡の嶺を 高み畏み 天雲も い行きはばかり たなびくものを [321]

(原文) 布士能嶺乎 高見恐見 天雲毛 伊去羽斤 田菜引物緒

〈富士の嶺が高くて畏れおおいので、空の雲さえも行きはばかって、たなびいていることよ〉

富士山を神と称えて賛美しています。旧暦の六月は真夏で、山頂に雪が長く残る様子を説明したもの。



四年壬申、藤原宇合卿の西海道節度使に遣さるる時に、高橋連蟲麻呂の作る歌一首 [并せて短歌]

 白雲の 龍田の山の 露霜に 色づく時に うち越えて 旅行く君は 五百重山 い行きさくみ 敵守る 筑紫に至り 山のそき 野のそき見よと 伴の部を 班ち遣はし 山彦の 答へむ極み たにぐくの さ渡る極み 国形を 見したまひて 冬こもり 春さりゆかば 飛ぶ鳥の 早く来まさね 龍田道の 岡辺の道に 丹つつじの にほはむ時の 桜花 咲きなむ時に 山たづの 迎へ参ゐ出む 君が来まさば [971]

(原文) 白雲乃 龍田山乃 露霜尓 色附時丹 打超而 客行<公>者 五百隔山 伊去割見 賊守 筑紫尓至 山乃曽伎 野之衣寸見世常 伴部乎 班遣之 山彦乃 将應極 谷潜乃 狭渡極 國方乎 見之賜而 冬<木>成 春去行者 飛鳥乃 早御来 龍田道之 岳邊乃路尓 丹管土乃 将薫時能 櫻花 将開時尓 山多頭能 迎参出六 <公>之来益者

〈白雲の立つ龍田の山が、露霜で赤く色づくときに、それを越えて遠い旅にお出かけになるあなたは、幾重にも重なった山を踏み分けて行き、敵の侵入を防ぐ筑紫の地に至り、山の果て、野の果てまでも監視せよと、部下たちを方々に遣わし、山びこのこたえる限り、たにぐくの渡る限り、国のありさまをご覧になって、春になったら飛ぶ鳥のように早く帰っておいでください。ここ龍田道の岡の辺の道に、赤いつつじが咲き映えるとき、桜の花の咲くときに、お迎えにまいりましょう。あなたが帰っておいでになったならば〉


  千万の 軍なりとも 言挙げせず 取りて来ぬべき 男とぞ思ふ [972]

(原文) 千萬乃 軍奈利友 言擧不為 取而可来 男常曽念

〈あなたは、相手が千万の大軍であろうとも、とやかく言い立てたりせずに討ち平らげてこられる、しっかりした男だと思っております〉

『続日本紀』にも、天平四年八月十七日条に藤原宇合が西海道の節度使に任じられたことがみえます。任地へ旅立つ宇合を高橋虫麻呂も龍田山のふもとまで見送り、別れの際に詠んだもの。


筑波の山に登らざりしことを惜しむ歌一首

 筑波嶺に 我が行けりせば 霍公鳥 山彦響め 鳴かましやそれ [1497]

(原文) 筑波根尓 吾行利世波 霍公鳥 山妣兒令響 鳴麻志也其

〈筑波の嶺に私が行っていたなら、ホトトギスが山びこを鳴りひびかせて鳴いてくれたでしょうか、一体〉

常陸国の国庁で下僚だったと見られる虫麻呂が、筑波山へ出かけた人から、ホトトギスが見事に鳴いていたことを聞いて、それに応えた歌のようです。


上総の末の珠名娘子を詠む一首 [并せて短歌]

 しなが鳥 安房に継ぎたる 梓弓 周淮の珠名は 胸別けの 広き我妹 腰細の すがる娘子の その姿の きらきらしきに 花のごと 笑みて立てれば 玉桙の 道行く人は おのが行く 道は行かずて 呼ばなくに 門に至りぬ さし並ぶ 隣の君は あらかじめ 己妻離れて 乞はなくに 鍵さへ奉る 人皆の かく惑へれば たちしなひ 寄りてぞ妹は たはれてありける [1738]

(原文) 水長鳥 安房尓継有 梓弓 末乃珠名者 胸別之 廣吾妹 腰細之 須軽娘子之 其姿之 端正尓 如花 咲而立者 玉桙乃 道行人者 己行 道者不去而 不召尓 門至奴 指並 隣之君者 豫 己妻離而 不乞尓 鎰左倍奉 人皆乃 如是迷有者 容艶 縁而曽妹者 多波礼弖有家留

〈安房から続く地である周淮の珠名娘子は、巨乳のかわいい女、似我蜂のように腰の細い娘子で、その容姿はととのって美しく、花のように微笑んで立っているので、道行く人は自分の行くべき道を行かず、呼びもしないのに彼女の家の門に来てしまう。並んでいる隣の家の主に至っては、あらかじめ自分の妻と別れて、欲しいとたのみもしないのに、家の鍵さえ差し出した。男たちが皆、こんな風に珠名に惑っているので、ますますしなだれかかり、珠名はたわむれていたという〉


反歌 

 金門にし人の来立てば夜中にも身はたな知らず出でてぞ逢ひける [1739]

(原文) 金門尓之 人乃来立者 夜中母 身者田菜不知 出曽相来

〈自分の家の門前に男が来て立つと、夜中でもわが身のことをすっかり忘れて、外へ出て逢ったということだ〉

常陸に在任中、あるいは往還の際に上総を通ったときに取材されたものと見られます。伝説的な美女の語を、具体的な表現を用いて現実的な身近さに引き寄せます。


水江の浦の島子を詠む一首 [并せて短歌]

 春の日の 霞める時に 住吉の 岸に出で居て 釣舟の とをらふ見れば いにしへの ことぞ思ほゆる 水江の 浦の島子が 鰹釣り 鯛釣りほこり 七日まで 家にも来ずて 海境を 過ぎて漕ぎ行くに 海神の 神の娘子に たまさかに い漕ぎ向ひ 相とぶらひ 言成りしかば かき結び 常世に至り 海神の 神の宮の 内のへの 妙なる殿に たづさはり ふたり入り居て 老いもせず 死にもせずして 長き世に ありけるものを 世間の 愚か人の 我妹子に 告りて語らく しましくは 家に帰りて 父母に 事も告らひ 明日のごと 我れは来なむと 言ひければ 妹が言へらく 常世辺に また帰り来て 今のごと 逢はむとならば この櫛笥 開くなゆめと そこらくに 堅めし言を 住吉に 帰り来りて 家見れど 家も見かねて 里見れど 里も見かねて あやしみと そこに思はく 家ゆ出でて 三年の間に 垣もなく 家失せめやと この箱を 開きて見てば もとのごと 家はあらむと 玉櫛笥 少し開くに 白雲の 箱より出でて 常世辺に たなびきぬれば 立ち走り 叫び袖振り こいまろび 足ずりしつつ たちまちに 心消失せぬ 若くありし 肌も皺みぬ 黒くありし 髪も白けぬ ゆなゆなは 息さへ絶えて 後つひに 命死にける 水江の 浦の島子が 家ところ見ゆ [1740]

(原文) 春日之 霞時尓 墨吉之 岸尓出居而 釣船之 得乎良布見者 古之 事曽所念 水江之 浦嶋兒之 堅魚釣 鯛釣矜 及七日 家尓毛不来而 海界乎 過而榜行尓 海若 神之女尓 邂尓 伊許藝趍 相誂良比 言成之賀婆 加吉結 常代尓至 海若 神之宮乃 内隔之 細有殿尓 携 二人入居而 耆不為 死不為而 永世尓 有家留物乎 世間之 愚人之 吾妹兒尓 告而語久 須臾者 家歸而 父母尓 事毛告良比 如明日 吾者来南登 言家礼婆 妹之答久 常世邊 復變来而 如今 将相跡奈良婆 此篋 開勿勤常 曽己良久尓 堅目師事乎 墨吉尓 還来而 家見跡 宅毛見金手 里見跡 里毛見金手 恠常 所許尓念久 従家出而 三歳之間尓 垣毛無 家滅目八跡 此筥乎 開而見手歯 如本 家者将有登 玉篋 小披尓 白雲之 自箱出而 常世邊 棚引去者 立走 叫袖振 反側 足受利四管 頓 情消失奴 若有之 皮毛皺奴 黒有之 髪毛白斑奴 由奈由奈波 氣左倍絶而 後遂 壽死祁流 水江之 浦嶋子之 家地見

〈春の日の霞んでいるときに、住吉の岸に出ていて、釣船のゆれているのを眺めていると、昔のことが偲ばれる。水江の浦の島子が、鰹を釣り、鯛を釣って夢中になり、七日までも家に戻らず、海の境を越えて漕いで行くと、海神の娘にたまたま出会い、言葉を掛け合い話が決まったので、約束をかためて常世の国に着き、海神の宮の、内のかこいの立派な御殿に手を取り合ってふたりで入ったまま、年もとらず、死にもしないで、長い間いられたものを、世にも愚かな浦の島子が、海神の娘に告げていうには、「しばらくは家に帰って父母に事情を話し、明日にでも自分は帰ってこよう」といったので、愛しい人がいうには「この常世の国にまた戻ってきて、今のように逢いたいとお思いでしたら、この箱を決してお開きなさいますな」と、堅く禁じたのに、住吉に帰ってきて、自分の家を探したけれども家を見つけることができず、里を探しても里も見あたらず、おかしいと思って、そこで考えるには、家を出てから三年の間に、垣根も家もまったくなくなることがあるものかと、また、この箱を開いてみたならば、もとのように家が現われるに違いないと思って、美しい箱を少しあけてみたところ、白雲が箱から出て、常世の国のほうへたなびいていったので、立って走り、叫んで袖を振り、ころがりまわり、足ずりをしながら、にわかに気を失ってしまった。若々しかった肌も皺だらけになってしまった。黒かった髪も白くなってしまった。そのあとには息まで絶えて、のちにはとうとう死んでしまったという、水江の浦の島子の、家のあったあたりが見える〉


反歌

 常世辺に住むべきものを剣大刀汝が心からおそやこの君 [1741]

(原文) 常世邊 可住物乎 劔刀 己之心柄 於曽也是君

〈常世の国に住んでいられたものを、自分の心からそんなことになって、何と愚かなことなのだ、このお人は〉

摂津国の住吉を舞台に設定したもので、住吉大社の存在から海神が連想されたと見られます。浦島子伝説は丹後国与謝郡を舞台にしたものが、この時代には既に知られていますが(雄略紀・丹後国風土記逸文)、類似の伝説が住吉に存在したか、虫麻呂が創作したかのいずれかのようです。玉手箱は登場するものの、「亀」がみられないのが特徴です。


河内の大橋を独り去く娘子を見る歌一首 [并せて短歌]

 しな照る 片足羽川の さ丹塗りの 大橋の上ゆ 紅の 赤裳裾引き 山藍もち 摺れる衣着て ただ独り い渡らす子は 若草の 夫かあるらむ 橿の実の 独りか寝らむ 問はまくの 欲しき我妹が 家の知らなく [1742]

(原文) 級照 片足羽河之 左丹塗 大橋之上従 紅 赤裳數十引 山藍用 揩衣服而 直獨 伊渡為兒者 若草乃 夫香有良武 橿實之 獨歟将宿 問巻乃 欲我妹之 家乃不知久

〈片足羽川の赤く塗った大橋の上を、紅の赤裳の裾を引いて山藍で摺り染めにした衣を着てただ一人渡って行く子は、夫があるのだろうか。独り寝るのだろうか。それを聞きたく思う、このかわいい女の家は何処であろう〉


反歌

 大橋の頭に家あらばま悲しく独り行く子に宿貸さましを [1743]

(原文) 大橋之 頭尓家有者 心悲久 獨去兒尓 屋戸借申尾

〈大橋のたもとに自分の家があったなら、悲しそうにひとり歩いていくあの子に、宿を貸してあげるのだが〉

赤の裳は普段着ではなく、おめかしした格好。橋を渡って彼氏に逢いに行く女性を、絵画的・浮世絵的に歌います。


武蔵の小埼の沼の鴨を見て作る歌一首

 埼玉の 小埼の沼に 鴨ぞ羽霧る おのが尾に 降り置ける霜を 掃ふとにあらし [1744]

(原文) 前玉之 小埼乃沼尓 鴨曽翼霧 己尾尓 零置流霜乎 掃等尓有斯

〈埼玉の小埼の沼で、鴨がはばたきしてしぶきを飛ばしている。自分の尾に降りた霜を払い落とそうとしているらしい〉

常陸赴任中に、何らかの用事で武蔵国へ行ったときの歌。小埼沼は埼玉県行田市の東南部にあったといわれています。


▲埼玉県行田市埼玉の前玉神社にある万葉灯籠です。左側が「小埼の沼」の歌を刻んだもの。右は第十四巻にみえる東歌「埼玉の津に居る船の風をいたみ綱は絶ゆとも言な絶えそね」[3380]の灯籠です。社殿のある前玉神社古墳の墳丘を登る階段の両側に配されています。元禄年間に氏子が奉納したそうです。


那賀郡の曝井の歌一首

 三栗の 那賀に向へる 曝井(さらしゐ)の 絶えず通はむ そこに妻もが [1745]

(原文) 三栗乃 中尓向有 曝井之 不絶将通 彼所尓妻毛我

〈那賀の向かいにある曝井の水が絶えずに湧くように、絶えずに那賀へ通いたい。そこに妻が欲しいものだ〉

常陸国那賀郡の曝井に取材したもの。『常陸国風土記』にも、泉の近くに住む女性たちが夏にはここに集い、洗濯をしていることがみえます。


手綱の濱の歌一首

 遠妻し 多珂にありせば 知らずとも 手綱の浜の 尋ね来なまし [1746]

(原文) 遠妻四 高尓有世婆 不知十方 手綱乃濱能 尋来名益

〈遠くに離れている妻が、もし多珂にいるのだったら、知らない場所でも手綱(たづな)の浜の名のように尋(たず)ねて来るだろうに〉

常陸国多珂郡の手綱浜の地名を、畿内に残してきただろう妻にかけて望郷の思いを歌ったもの。


春三月、諸の卿大夫等の難波に下りし時の歌二首 [并せて短歌]

 白雲の 龍田の山の 瀧の上の 小椋の嶺に 咲きををる 桜の花は 山高み 風しやまねば 春雨の 継ぎてし降れば ほつ枝は 散り過ぎにけり 下枝に 残れる花は しましくは 散りな乱ひそ 草枕 旅行く君が 帰り来るまで [1747]

(原文) 白雲之 龍田山之 瀧上之 小鞍嶺尓 開乎為流 櫻花者 山高 風之不息者 春雨之 継而零者 最末枝者 落過去祁利 下枝尓 遺有花者 須臾者 落莫乱 草枕 客去君之 及還来

〈白雲立つ竜田山の、滝の上にある小椋の嶺に、咲き繁っている桜の花は、山が高くて風がやまない上に、春雨がひきつづいて降るので、先のほうの枝は散り去ってしまった。下枝に残っている花は、しばらくは散り乱れないでほしい。旅を行く方が帰っておいでになるまで〉


反歌

 我が行きは 七日は過ぎじ 龍田彦 ゆめこの花を 風にな散らし [1748]

(原文) 吾去者 七日者不過 龍田彦 勤此花乎 風尓莫落

〈私の旅は七日を越えることはあるまい。龍田彦の神よ、決してこの花を風で散らさないでください〉


 白雲の 龍田の山を 夕暮れに うち越え行けば 瀧の上の 桜の花は 咲きたるは 散り過ぎにけり ふふめるは 咲き継ぎぬべし こちごちの 花の盛りに 見ざれども 君がみ行きは 今にしあるべし [1749]

(原文) 白雲乃 立田山乎 夕晩尓 打越去者 瀧上之 櫻花者 開有者 落過祁里 含有者 可開継 許知期智乃 花之盛尓 雖不見在 君之三行者 今西應有

〈白雲立つ竜田山を、夕暮れに越えて行くと、滝のほとりの桜は、咲いていたのはもう散ってしまった。つぼみのは、追い継いで咲くでしょう。あちこちの花の盛りを目にすることはできないけれど、君のお出ましは、今が一番いい時機でしょう〉


反歌

 暇あらば なづさひ渡り 向つ峰の 桜の花も 折らましものを [1750]

(原文) 暇有者 魚津柴比渡 向峯之 櫻花毛 折末思物緒

〈暇さえあったならば、水の上を渡って、向こうの岸の嶺に咲く桜の花も折ってまいりましょうに〉

虫麻呂の庇護者だった藤原宇合は神亀三年十月に知造難波宮事に任じられ、天平四年三月にその労を賞されています。その間に虫麻呂も宇合ら諸卿大夫らに従って難波と大和とを往来し、龍田道を通ったのでしょう。また、天平六年の難波行幸に関係すると見る説もあります。


難波に経宿りて明日還り来し時の歌一首 [并せて短歌]

 島山を い行き廻れる 川沿ひの 岡辺の道ゆ 昨日こそ 我が越え来しか 一夜のみ 寝たりしからに 峰の上の 桜の花は 瀧の瀬ゆ 散らひて流る 君が見む その日までには 山おろしの 風な吹きそと うち越えて 名に負へる杜に 風祭せな [1751]

(原文) 嶋山乎 射徃廻流 河副乃 丘邊道従 昨日己曽 吾越来壮鹿 一夜耳 宿有之柄二 岑上之 櫻花者 瀧之瀬従 落堕而流 君之将見 其日左右庭 山下之 風莫吹登 打越而 名二負有社尓 風祭為奈

〈島山を行きめぐって流れる川沿いの、岡辺の道を昨日越えて来たばかりだけれど、たった一晩とまっただけで、峯の上の桜の花は散って激しい瀬を流れている。あなたがご覧になるその日までは、山おろしの風など吹くなと、山を越えて、有名な竜田の社に風神のお祭をしよう〉


反歌

 い行き逢ひの 坂のふもとに 咲きををる 桜の花を 見せむ子もがも [1752]

(原文) 射行相乃 坂之踏本尓 開乎為流 櫻花乎 令見兒毛欲得

〈行き逢いの坂のふもとに、美しく咲き繁った桜の花を、見せてやれる子でもいたらいいのに〉

前の「諸の卿大夫等の難波に下りし時の歌」が往路なら、こちらは復路での歌。やはり龍田山を望む場所で見る桜を材に取っており、風神として知られる龍田大社の神が意識されています。


検税使大伴卿が、筑波山に登りし時の歌一首 [并せて短歌]

 衣手 常陸の国の 二並ぶ 筑波の山を 見まく欲り 君来ませりと 暑けくに 汗かき投げ 木の根取り うそぶき登り 峰の上を 君に見すれば 男神も 許したまひ 女神も ちはひたまひて 時となく 雲居雨降る 筑波嶺を さやに照らして いふかりし 国のまほらを つばらかに 示したまへば 嬉しみと 紐の緒解きて 家のごと 解けてぞ遊ぶ うち靡く 春見ましゆは 夏草の 茂くはあれど 今日の楽しさ [1753]

(原文) 衣手 常陸國 二並 筑波乃山乎 欲見 君来座登 熱尓 汗可伎奈氣 木根取 嘯鳴登 岑上乎 君尓令見者 男神毛 許賜 女神毛 千羽日給而 時登無 雲居雨零 筑波嶺乎 清照 言借石 國之真保良乎 委曲尓 示賜者 歡登 紐之緒解而 家如 解而曽遊 打靡 春見麻之従者 夏草之 茂者雖在 今日之樂者

〈常陸の国の峯が二つ並んでいる筑波山を見たいと、あなたがおいでになったというわけで、暑い最中に汗をはらって、木の根につかまり、あえぎながら登って、頂上の景色をあなたにお見せすると、筑波の男神もお許しになり、女神も加護し給うて、いつもは時を定めず雲がかかり雨の降る筑波山を、はっきりと照らし、気がかりにしていたこの国のよいところを、こまかにお示しになったので、嬉しくて、紐の緒を解いて、自分の家にいるようにくつろいで遊んでいる。夏草が茂ってはいるけれど、今日の何と楽しいことよ〉


反歌

 今日の日にいかにかしかむ筑波嶺に昔の人の来けむその日も [1754]

(原文) 今日尓 何如将及 筑波嶺 昔人之 将来其日毛

〈今日の楽しさにどうして及ぼうか。筑波山に昔の人が来たというその日の楽しさだって〉

大伴卿は大伴旅人と見るのが有力。養老五年〜七年ころのことのようです。


霍公鳥を詠む一首 [并せて短歌]

 鴬の 卵の中に 霍公鳥 独り生れて 己が父に 似ては鳴かず 己が母に 似ては鳴かず 卯の花の 咲きたる野辺ゆ 飛び翔り 来鳴き響もし 橘の 花を居散らし ひねもすに 鳴けど聞きよし 賄はせむ 遠くな行きそ 我が宿の 花橘に 住みわたれ鳥 [1755]

(原文) 鴬之 生卵乃中尓 霍公鳥 獨所生而 己父尓 似而者不鳴 己母尓 似而者不鳴 宇能花乃 開有野邊従 飛翻 来鳴令響 橘之 花乎居令散 終日 雖喧聞吉 幣者将為 遐莫去 吾屋戸之 花橘尓 住度鳥

〈ウグイスの卵の中にホトトギスは独りだけ生まれて、自分の父に似ては鳴かず、自分の母に似ても鳴かない。卯の花の咲いている野辺を飛びかけっては来ては、鳴き響かせ、橘の枝にとまっては、その花を散らし、一日中鳴いているが聞き飽きない。贈り物をするから遠くへ行かないでおくれ。私の家の庭の花橘に住みついおくれ、鳥よ〉


反歌

 かき霧らし 雨の降る夜を 霍公鳥 鳴きて行くなり あはれその鳥 [1756]

(原文) 掻霧之 雨零夜乎 霍公鳥 鳴而去成 怜其鳥

〈空がかき曇って雨の降る夜なのに、ホトトギスが鳴いていく。ああその鳥よ〉

ホトトギスの托卵本能に着目して、その孤独感で鳴き声の素晴らしさを際立たせます。


筑波山に登る歌一首 [并せて短歌]

 草枕 旅の憂へを 慰もる こともありやと 筑波嶺に 登りて見れば 尾花散る 師付の田居に 雁がねも 寒く来鳴きぬ 新治の 鳥羽の淡海も 秋風に 白波立ちぬ 筑波嶺の よけくを見れば 長き日に 思ひ積み来し 憂へはやみぬ [1757]

(原文) 草枕 客之憂乎 名草漏 事毛有哉跡 筑波嶺尓 登而見者 尾花落 師付之田井尓 鴈泣毛 寒来喧奴 新治乃 鳥羽能淡海毛 秋風尓 白浪立奴 筑波嶺乃 吉久乎見者 長氣尓 念積来之 憂者息沼

〈草を枕にするような旅のわびしさを慰めることもあろうかと、筑波嶺に登って見晴らすと、すすきの花の散る師付の田に、雁もやって来て寒々と鳴いている。新治の鳥羽の淡海も、秋風に白波が立っている。筑波嶺のよい景色を見ると、長い旅の日々で心に積もってきたわびしさも、すっかりいえた〉


反歌

 筑波嶺の 裾廻の田居に 秋田刈る 妹がり遣らむ 黄葉手折らな [1758]

(原文) 筑波嶺乃 須蘇廻乃田井尓 秋田苅 妹許将遺 黄葉手折奈

〈筑波嶺の山裾をめぐる田で秋の稲を刈っている、あの子に遣るもみじを手折りましょう〉

虫麻呂の筑波山に関する歌は四組が万葉集中にみえ、そのうちのひとつ。故郷から離れているさびしさを、秋の山の上から眺める美しい光景が癒すようです。


筑波嶺に登りて嬥歌會をする日に作る歌一首 [并せて短歌]

 鷲の住む 筑波の山の 裳羽服津の その津の上に 率ひて 娘子壮士の 行き集ひ かがふかがひに 人妻に 我も交らむ 我が妻に 人も言とへ この山を うしはく神の 昔より 禁めぬわざぞ 今日のみは めぐしもな見そ 事もとがむな [1759]

(原文) 鷲住 筑波乃山之 裳羽服津乃 其津乃上尓 率而 未通女壮士之 徃集 加賀布嬥歌尓 他妻尓 吾毛交牟 吾妻尓 他毛言問 此山乎 牛掃神之 従来 不禁行事叙 今日耳者 目串毛勿見 事毛咎莫

〈鷲の住む筑波の山の、裳羽服津の、その津のあたりに、呼び合って若い男女が集まって歌い踊るそのかがいで、他人の妻に私も交わろう。私の妻に他の人も言葉をかけろよ。この山を領している神が、昔から禁止しないことだ。今日だけは愛しい人も見るなかれ、とがめ立てもするな〉


反歌

 男神に 雲立ち上り しぐれ降り 濡れ通るとも 我れ帰らめや [1760]

(原文) 男神尓 雲立登 斯具礼零 沾通友 吾将反哉

〈男神の嶺に雲が立ちのぼって時雨が降り、びしょ濡れになっても私は帰ったりするものか〉

『常陸国風土記』にもみえるように、筑波山は歌垣の場でもありました。


鹿島郡の刈野の橋にして大伴卿に別るる歌一首 [并せて短歌]

 ことひ牛の 三宅の潟に さし向ふ 鹿島の崎に さ丹塗りの 小舟を設け 玉巻きの 小楫繁貫き 夕潮の 満ちのとどみに 御船子を 率ひたてて 呼びたてて 御船出でなば 浜も狭に 後れ並み居て こいまろび 恋ひかも居らむ 足すりし 音のみや泣かむ 海上の その津を指して 君が漕ぎ行かば [1780]

(原文) 牡牛乃 三宅之滷尓 指向 鹿嶋之埼尓 狭丹塗之 小船儲 玉纒之 小梶繁貫 夕塩之 満乃登等美尓 三船子呼 阿騰母比立而 喚立而 三船出者 濱毛勢尓 後奈美居而 反側 戀香裳将居 足垂之 泣耳八将哭 海上之 其津乎指而 君之己藝歸者

〈三宅の潟に向き合っている鹿島の崎で、赤く塗った小船を用意して、玉を飾った櫂をたくさん並べて、夕潮が満ちたときに船子たちを駆り集め、掛け声を立てて船出をなさったなら、あとに残った者たちは、浜いっぱいに並んで、ころげまわって恋慕い、足ずりをして声をあげて泣くでしょう。海上郡の、その港をさしてあなたが漕いで行かれたなら〉


反歌

 海つ道の なぎなむ時も 渡らなむ かく立つ波に 船出すべしや [1781]

(原文) 海津路乃 名木名六時毛 渡七六 加九多都波二 船出可為八

〈海の道の、波おだやかな時にお渡りなさいませ。こんなに波が立っている時に船出すべきではありますまい〉

前出の「検税使大伴卿が、筑波山に登りし時の歌」と同様、大伴旅人が常陸を訪れたときの歌と見られます。常陸での任務を終え、下総へ向かう大伴卿を、虫麻呂たちが見送ったようです。


勝鹿の真間娘子を詠む歌一首 [并せて短歌]

 鶏が鳴く 東の国に いにしへに ありけることと 今までに 絶えず言ひける 勝鹿の 真間の手児名が 麻衣に 青衿着け ひたさ麻を 裳には織り着て 髪だにも 掻きは梳らず 沓をだに はかず行けども 錦綾の 中に包める 斎ひ子も 妹にしかめや 望月の 足れる面わに 花のごと 笑みて立てれば 夏虫の 火に入るがごと 港入りに 舟漕ぐごとく 行きかぐれ 人の言ふ時 いくばくも 生けらじものを 何すとか 身をたな知りて 波の音の 騒く港の 奥つ城に 妹が臥やせる 遠き代に ありけることを 昨日しも 見けむがごとも 思ほゆるかも [1807]

(原文) 鶏鳴 吾妻乃國尓 古昔尓 有家留事登 至今 不絶言来 勝壮鹿乃 真間乃手兒奈我 麻衣尓 青衿著 直佐麻乎 裳者織服而 髪谷母 掻者不梳 履乎谷 不著雖行 錦綾之 中丹L有 齊兒毛 妹尓将及哉 望月之 満有面輪二 如花 咲而立有者 夏蟲乃 入火之如 水門入尓 船己具如久 歸香具礼 人乃言時 幾時毛 不生物<呼> 何為跡歟 身乎田名知而 浪音乃 驟湊之 奥津城尓 妹之臥勢流 遠代尓 有家類事乎 昨日霜 将見我其登毛 所念可聞

〈吾妻の国に昔あったという話として、今まで絶えず語り伝えられてきた、葛飾の真間の手児奈が、麻衣に青い襟をつけ、麻だけで織った裳を着て、髪の毛すらも櫛けずらず、はき物もはかずにいるのだが、錦や綾にくるまれた、大切にしている子も、その手児奈にどうして及ぼうか。満月のように欠けるところのない顔立ちで、花のようにほほえんで立っていると、夏の虫が火に入るように、港に入ろうと舟を漕ぐように、寄り集まって求婚する男たちがあれこれと言い騒ぐときに、人はどれほども生られないものなのに、どういうつもりで、手児奈は自分の身を思い知って、波の音のざわざわとする港の墓に、この愛しい子は臥せっているのだろうか、遠い昔の出来事が、ほんの昨日見たことのように思われる〉


反歌

 勝鹿の 真間の井見れば 立ち平し 水汲ましけむ 手児名し思ほゆ [1808]

(原文) 勝壮鹿之 真間之井見者 立平之 水挹家牟 手兒名之所念

〈葛飾の真間の井を見ると、いつもここに立って水を汲んだという手児奈が偲ばれる〉

葛飾の真間は千葉県市川市の地名。手児名は、妻争いの中で自殺した悲話の伝説的ヒロインで、山部赤人も題材にしています[431〜433]。


菟原処女の墓を見る歌一首

 葦屋の 菟原娘子の 八年子の 片生ひの時ゆ 小放りに 髪たくまでに 並び居る 家にも見えず 虚木綿の 隠りて居れば 見てしかと いぶせむ時の 垣ほなす 人の問ふ時 茅渟壮士 菟原壮士の 伏屋焚き すすし競ひ 相よばひ しける時は 焼太刀の 手かみ押しねり 白真弓 靫取り負ひて 水に入り 火にも入らむと 立ち向ひ 競ひし時に 我妹子が 母に語らく しつたまき いやしき我が故 ますらをの 争ふ見れば 生けりとも 逢ふべくあれや ししくしろ 黄泉に待たむと 隠り沼の 下延へ置きて うち嘆き 妹が去ぬれば 茅渟壮士 その夜夢に見 とり続き 追ひ行きければ 後れたる 菟原壮士い 天仰ぎ 叫びおらび 地を踏み きかみたけびて もころ男に 負けてはあらじと 懸け佩きの 小太刀取り佩き ところづら 尋め行きければ 親族どち い行き集ひ 長き代に 標にせむと 遠き代に 語り継がむと 娘子墓 中に造り置き 壮士墓 このもかのもに 造り置ける 故縁聞きて 知らねども 新裳のごとも 哭泣きつるかも  [1809]

(原文) 葦屋之 菟名負處女之 八年兒之 片生之時従 小放尓 髪多久麻弖尓 並居 家尓毛不所見 虚木綿乃 牢而座在者 見而師香跡 悒憤時之 垣廬成 人之誂時 智弩壮士 宇奈比壮士乃 廬八燎 須酒師競 相結婚 為家類時者 焼大刀乃 手頴押祢利 白檀弓 <靫>取負而 入水 火尓毛将入跡 立向 競時尓 吾妹子之 母尓語久 倭文手纒 賎吾之故 大夫之 荒争見者 雖生 應合有哉 宍串呂 黄泉尓将待跡 隠沼乃 下延置而 打歎 妹之去者 血沼<壮>士 其夜夢見 取次寸 追去祁礼婆 後有 菟原壮士伊 仰天叫於良妣 踏地 牙喫建怒而 如己男尓 負而者不有跡 懸佩之 小劔取佩 冬ふ蕷都良 尋去祁礼婆 親族共 射歸集 永代尓 標将為跡 遐代尓 語将継常 處女墓 中尓造置 壮士墓 此方彼方二 造置有 故縁聞而 雖不知 新喪之如毛 哭泣鶴鴨

〈葦屋の菟原娘子が、八歳ばかりのまだ一人前にならないころから、振り分け髪をあげる年ごろまでも、近所の家の人にも会わずにこもっているので、会いたいものだと皆やきもきし、大勢の人がいい寄ったとき、茅渟壮士と菟原壮士とが、 せり合って互いに求婚したとき、焼き鍛えた太刀の柄を握り、白い檀弓と靱とを背負って、水にも火にも入ろうと立ち向かって争ったときに、わが愛しい菟原娘子が母に語るには、「いやしい私のために、立派な男の人が争うのを見ると、たとえ生きていても、添い遂げられるはずがありません。いっそ黄泉の国でお待ちしましょう」と、そっといっておいて、嘆きつつこの世を去ってしまったので、茅渟壮士がその夜夢に見て、 続いてあの世へ追って行くと、遅れた菟原壮士は天を仰ぎ、泣き叫んで、足ずりをし、歯ぎしりをして、ふるい立ち、あんな男に負けてはいられないと、 懸けて佩く小剣を帯びて、後を追っていってしまった。親族たちは集まって、のちの世までの標しにしようと、末代まで語り継ぐようにと、娘子の墓を中に造り、 壮士の墓をその右と左に造っておいた。そのいわれを聞いて、事のあったときのことは知らないけれども、近頃亡くなった人の喪のように泣いてしまった〉


 反歌

 屋の 菟原娘子の 奥つ城を 行き来と見れば 哭のみし泣かゆ [1810]

(原文) 葦屋之 宇奈比處女之 奥槨乎 徃来跡見者 哭耳之所泣

〈葦屋の菟原処女の墓を、行き来のたびに見ると、泣けてくることだ〉


反歌

 墓の上の 木の枝靡けり 聞きしごと 茅渟壮士にし 寄りにけらしも [1811]

(原文) 墓上之 木枝靡有 如聞 陳努壮士尓之 依家良信母

〈墓の上の木の枝がなびいている。伝え聞いたように、茅渟壮士のほうに、心を寄せていたらしい〉

葦屋は摂津国の地名、茅渟は和泉国。神戸市東灘区御影塚町にある処女塚古墳が、この墓に付会されています。前の「勝鹿の真間娘子を詠む歌」と同じく、美しさのため男性たちの争いの中に置かれ、亡くなってしまった女性の物語を題材にします。
 

※[数字]は国歌大観による番号です。 


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おもな参考文献 : 高木市之助・五味智英・大野晋『日本古典文学大系 萬葉集』、伊藤博『萬葉集釋注』、同『万葉集』、神野志隆光・坂本信幸編『セミナー 万葉の歌人と作品』