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 あ 

県使 (あがたのつかい)

首姓。ウヂ名は県(あがた)を朝命を受けて支配した職掌にもとづく。

宇麻志摩遅命の後裔。(「録」大和国神別)

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赤間物部 (あかまのもののべ)

無姓。「旧」天神本紀に、饒速日命の天降りに供奉したことがみえる。ウヂ名の赤間は、長門国豊浦郡の赤間、もしくは筑前国宗像郡赤間の地名にもとづく。播磨国飾磨郡少川里の英馬も縁故の地か。

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足田物部 (あしだのもののべ)

疋田物部をみよ。

疋田物部

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阿刀 (あと)

安斗、阿斗、安刀、安都、迹ともいう。姓は宿祢と連、造があり、宿祢姓は天武紀十三年十二月の賜姓のほか、「続紀」神護景雲三年七月に、左京の人・阿刀造子老ら五人が阿刀宿祢の姓を賜ったことがみえる。本拠地は河内国渋川郡跡部郷で、延喜式神名帳にみえる同地の跡部神社もこの氏の奉斎によると見られる。
「紀」に地名アトを含む記事は四ヶ所みられ、雄略七年是歳条の倭国吾砺広津邑、および用明二年四月条に物部守屋の別邸があったとされる阿都は上記の河内国渋川郡の地名で、敏達十二年是歳条の阿斗桑市、推古十八年十月条の阿斗河辺館は大和国城下郡の地名阿刀による。これらが渡来人の掌握や外交に関係した記事にみられる地名であり、大和川水系の要所に位置することは、阿刀氏から義淵、玄ム、善珠といった仏教界で活躍した人々や、空海の叔父で伊予親王の侍講を務めた阿刀宿祢大足、撰日本紀所へ出仕した安都宿祢笠主、令集解が引く「跡記」の著者、といった学者を輩出した背景を成す渡来系の知識の摂取に有利な地を、この氏が拠点としていたといえ、また氏の性格の一端を示すものである。
「旧」天神本紀にみえる、饒速日命の天降りに供奉した梶取天津麻良を阿刀造らの祖とする伝承に象徴されるように、水上交通における活動が推定される。
氏人には、壬申の乱で大海人皇子の配下として活躍した安斗連智徳(天武元年六月ほか)、安斗連阿加布(天武元年六月)や、阿刀宿祢真足(宝亀二年十一月ほか)、井上皇后廃后事件に連座して無姓に落とされた上流罪になった安都堅石女(宝亀三年三月)らがいる。
延喜式神名帳の山城国葛野郡にみえる阿刀神社は、山城に住んだ阿刀氏の祀るものか。美濃国本巣郡の安堵郷なども縁故があろう。

石上朝臣に同祖。神饒速日命の後裔。(「録」左京神別上)
石上朝臣に同祖。饒速日命の孫・味饒田命の後裔。(「録」山城国神別)
神饒速日命の後裔。(「録」摂津国神別)
韓国連に同じく、采女臣と同祖。神饒速日命の六世孫・伊香我色雄命の後裔。(「録」和泉国神別)

宇摩志麻治命の子・味饒田命の後裔。(「旧」天孫本紀)

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阿刀物部 (あとのもののべ)

無姓。阿刀の地に置かれた物部、もしくは阿刀氏によって管掌されていた物部か。貞観六年八月に良階宿祢の姓を賜った阿刀物部貞範は、三代実録貞観四年七月に摂津国西成郡の人とみえる。

跡部

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跡部 (あとべ)

首姓、無姓がある。阿刀部ともいい、阿刀物部と同じか。三代実録貞観六年八月に良階宿祢の姓を賜った陰陽允・阿刀物部貞範がみえ、「神饒速日命之裔孫也」という。「録」未定雑姓の摂津に阿刀部がみえ、和名抄にみえる地名として美濃国武芸郡に跡部郷、伊勢国安濃郡に跡部郷、信濃国小県郡に跡部郷、豊後国大分郡に跡部郷があるのは、この部が置かれたことによるだろう。
「旧」天神本紀に、饒速日命が天降るとき供奉した船長天津羽原は、跡部首らの祖という。

阿刀物部

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安幕 (あまか)

首姓。崇峻紀にみえる和泉の茅野県有真香邑を本拠とする。延喜式神名帳の和泉国和泉郡にみえる阿里莫神社は、この氏の奉斎したものと見られる。

饒速日命の七世孫・十千尼大連の後裔。(「録」和泉国神別)

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菴宜物部 (あんぎのもののべ)

無姓。「旧」天神本紀に、饒速日命に供奉して天降ったことがみえる。
ウヂ名の菴宜は伊勢国奄芸郡奄芸郷にちなむか。巷宜(そが)と読む場合は、大和国高市郡の曽賀、または筑前国早良郡曽我部郷に縁故のものと考えられる。

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奄智蘊 (あんちのかづら)

連姓。奄智は大和国城下郡の奄知村の地名にもとづくか。また、雄略紀二十三年に筑紫安致臣某がみえ、筑紫に安致の地名があったことが考えられる。

宇摩志麻治命の九世孫・物部竺志連公の後裔。(「旧」天孫本紀)

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勇山 (いさやま)

連姓。豊前国下毛郡諌山郷、および同国京都郡諌山郷一帯を本拠とする北部九州の豪族で、のち河内国へ本拠を移すものがいた。続紀天平十二年九月に下毛郡擬少領の勇山伎美麻呂がみえる。
安閑紀元年閏十二月に物部大連尾輿が献じた「筑紫国胆狭山部」があり、この部民、もしくは部を管掌する伴造だったと見られる。

後紀弘仁元年十月に河内国の人・従七位下勇山国嶋らに連姓を賜ったとみえ、旧姓は無姓だった。
ほか、氏人には勇山連家継(後紀弘仁三年正月など)、勇山連真継(後紀弘仁六年七月)、凌雲集・文華秀麗集・経国集の撰者のひとりで安野宿禰と改める勇山連文継がいる。

神饒速日命の三世孫・出雲醜大使主命の後裔。(「録」河内国神別)

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伊豆 (いず)

直姓。ウヂ名は伊豆国号にもとづく。続紀天平十四年四月に日下部直益人が伊豆国造伊豆直の姓を賜ったことがみえ、宝亀二年閏三月には伊豆国造伊豆直乎美奈が従五位下に叙せられたことがみえる。
伊豆国田方郡の郡領を多数輩出。三島大社の社家でもあったという。

天ヌ桙命の八世孫・若建命の後裔。(「旧」国造本紀)

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伊勢荒比田 (いせのあらひだ)

連姓。ウヂ名の伊勢は伊勢国にちなむ。荒比田は不詳。

宇摩志麻治命の十三世孫・物部建彦連公の後裔。(「旧」天孫本紀)

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石上 (いそのかみ)

朝臣姓。ウヂ名は、和名抄に大和国山辺郡石上郷、延喜式神名帳の大和国山辺郡に石上坐布留御魂神社、などとみえる地にもとづく。
物部連氏のうち、孝徳朝に衛部大花上だったという物部連宇麻呂の流より興る。天武紀十三年十一月に、連姓から朝臣姓を賜り、それと同時もしくは間もなくウヂ名も石上へと改めた。
左大臣まで昇った石上朝臣麻呂をはじめ、中納言となった子の乙麻呂、大納言となった孫の宅嗣がその嫡流である。奈良朝における物部氏族の本宗的地位にあった。
ほか氏人には、豊庭、勝男、諸男、奥継、家成、美奈麻呂らが知られる。

神饒速日命の後裔。(「録」左京神別上)

「旧」天孫本紀に、物部連公麻呂は天武朝の八色の姓制定の日に姓連公を改めて物部朝臣となり、同朝に改めて石上朝臣の姓を賜ったという。

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猪名部 (いなべ)

造姓と首姓、無姓がある。為奈部ともいう。ウヂ名は、木工技術者集団だった猪名部の伴造氏だったことにもとづく。猪名部は船匠として活躍したとする説が有力。
摂津国河辺郡為奈郷が本拠地か。
和名抄に伊勢国員弁郡が見え、延喜式神名帳にも同地に猪名部神社が見える。ここを本拠とした猪名部氏からは続後紀の編纂者で参議になった春澄善縄が輩出されており、三代実録の薨伝によると祖父の財麻呂は員弁郡の少領だったといい、父の豊雄も公卿補任貞観二年条によれば少領だったという。雄略紀十八年八月条に「奪菟代宿祢所有“猪使部”賜物部目連」とあるのを、熱田本・伊勢本により「猪名部」とするならば、この伊勢国の猪名部と関係した伝承だろう。
「旧」天神本紀は、饒速日命の天降りに供奉した天津赤占と天津赤星を為奈部らの祖とする。

伊香我色男命の後裔。(「録」左京神別上)
伊香我色乎命の六世孫・金連の後裔。(「録」未定雑姓)

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伊福部 (いふきべ)

臣姓。「いおきべ」「いふくべ」とも読む。
因幡国伊福部臣古志に、因幡国の豪族で伊福部の現地管掌者となった伊福部氏について、饒速日命・伊香色雄命らの後裔とする記述がある。
同古志は大己貴神を始祖とし、饒速日命をその八世孫に位置づけるが、これは「饒速日命を始祖と伝えていたにもかかわらず、大己貴命を奉斎していたがために、さらに自己の系図を大己貴命にまで古くさかのぼらせて、同神を始祖とするようになったもの」(佐伯有清氏)という理解が妥当か。

伊福部には、景行天皇の子・五百城入彦皇子の名代部と見る説、笛を吹く部と見る説、天皇や皇族の食物の煮炊きや入浴用の湯を沸かす火吹部と見る説、製鉄の際に踏鞴を担当した製鉄関係部と見る説がある。古志は第二十・若子臣の条に、允恭天皇から祖先が国造に任じられた理由を報告することを求められた際、祖先のことについて、代々違った話を作り出してはならないことを命じられ、「祷祈を以て気(いふき)を飄風(はやて)に変化」させていたことを以って「気吹部臣(いふきべのおみ)」の姓を賜ったという。この伝承は、製鉄関係部説に有利であろう。

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今木 (いまき)

連姓。ウヂ名の今木は、欽明紀にみえる倭国今来郡(大和国高市郡)、もしくは山城国宇治郡今木の地名にもとづく。あるいは、天孫本紀に宇摩志麻治命が神武天皇の即位に際し、五十櫛、別名今木を布都主剣の周りに刺しめぐらし、石上大神を宮殿の内に奉斎したことがみえるように、斎木(いみき)をもって祭祀に関与したことにもとづくか。

真髪部造に同じく、神饒速日命の七世孫・大売大布乃命の後裔。(「録」山城国神別)

宇摩志麻治命の十四世孫・物部今木金弓若子連公、同十五世孫・物部石弓若子連公、同十六世孫・物部耳連公および物部金弓連公の後裔。(「旧」天孫本紀)

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浮田物部 (うきたのもののべ)

無姓。「旧」天神本紀に、饒速日命に供奉して天降ったことがみえる。
ウヂ名の浮田は、大和国葛下郡の地名浮田、延喜式神名帳の近江国高島郡にみえる宇伎多神社の鎮座地、もしくは万葉集巻十一2839に「如是為哉 猶八成牛鳴 大荒木之 浮田之社之 標尓不有尓」とある浮田の社(延喜式神名帳の大和国宇智郡にみえる荒木神社)の鎮座地にちなむ。

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宇治 (うじ)

菟道ともいう。連姓のほか、天武十三年には宿祢姓を賜ったものがいた。
ウヂ名は山城国宇治郡宇治郷を本拠としたことにもとづく。山城国宇治郡の郡領を多数輩出した。ほか、摂津国八部(矢田部)郡に宇治郷があるのもこの氏に関係するか。
また、三代実録元慶元年十二月に山城国宇治郡の人、宇治宿祢常永・宇治宿祢春宗が本居を改めて左京三条に移ったことなどがみえる。
宇治宿祢墓誌に「物部神八継孫宇治宿祢」とある物部神は、饒速日命か宇摩志麻治命か。

饒速日命の六世孫・伊香我色雄命の後裔。(「録」山城国神別)

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宇治山守 (うじのやまもり)

連姓。宇治は山城国宇治郡の地名であり、宇治氏の同族だったことにもとづく。山守は山守部の伴造だったことによる。

饒速日命の六世孫・伊香我色雄命の後裔。(「録」山城国神別)

宇治

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宇治部 (うじべ)

連姓。宇遅部ともいう。
応神天皇の皇子、菟道稚郎子の名代部とされる宇治部を管掌する伴造氏。

饒速日命の六世孫・伊香我色乎命の後裔。(「録」河内国神別)
韓国連に同じく、神饒速日命の六世孫・伊香我色雄命の後裔。(「録」和泉国神別)

宇摩志麻治命の七世孫・多弁宿祢命、同十四世孫・物部臣竹連公の後裔。(「旧」天孫本紀)

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内田 (うちだ)

臣姓。伊勢国安濃郡に内田郷があるが関係は不明。あるいは大和国宇智郡、山城国綴喜郡有智郷に縁故の氏か。

巫部宿祢と同じく、伊香我色雄命の後裔。(「録」右京神別上)

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采女 (うねめ)

臣姓と造姓、天武十三年十一月以降は朝臣姓がある。地方豪族から貢進される采女の統括にあたった伴造氏。令制下にも采女司の采部の負名氏だった。
「記」神武段に宇摩志麻遅命の後裔として、物部連・穂積臣とともに記され、数多い物部氏族のなかでも代表的なものとして知られていた。
氏人に、采女臣摩礼志(舒明即位前紀)、采女臣使主麻呂(「紀」大化五年三月)、采女臣竹羅(天武紀十年七月など)、采女朝臣枚夫(続紀慶雲元年正月など)、采女朝臣首名(続紀天平十一年正月)、采女臣阿古女(続紀延暦八年正月)、采女朝臣若(続紀天平十一年正月)、采女朝臣人(続紀天平十八年四月など)、采女朝臣浄庭(続紀天平宝字元年八月など)、采女朝臣宅守(続紀宝亀十年正月など)、采女朝臣枚麻呂(後紀弘仁元年十月)などが知られる。
天平神護元年二月に、摂津国島下郡の人、采女臣家麻呂・采女臣家足らに朝臣姓を賜ったことがみえ、摂津国などに住んだものもあった。常陸国風土記は、筑波国の国号は采女臣の同族筑簟命が国造だったことにちなむとする伝承を載せる。また、伊勢国三重郡、三河国碧海郡に采女郷がある。


石上朝臣に同祖。神饒速日命の六世孫・大水口宿祢の後裔。(「録」右京神別上)
神饒速日命の六世孫・伊香我色雄命の後裔。(「録」和泉国神別)

宇摩志麻治命の四世孫・大水口宿祢の後裔。(「旧」天孫本紀)

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殖栗 (えぐり)

連姓。ウヂ名は山城国久世郡殖栗郷、もしくは延喜式神名帳の大和国城上郡にみえる殖栗神社の地にもとづく。もと殖栗物部といい、和銅二年六月に殖栗物部名代が殖栗連の姓を賜った。

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榎井 (えのい)

連姓、天武十三年以降は朝臣姓も出る。朴井ともいう。物部榎井連も同氏。
榎井は、推古紀二十四年に朴井とある地名で、和泉志に日根郡榎井池在西内村とみえる。また、大和国高市郡朴井邑に由来するとする説もある。
大海人皇子の舎人だった朴井連雄君は壬申の乱での功績が大きく、死後には内大紫位と物部氏の氏上の地位が贈られた。このことは、榎井氏が大嘗祭や元日儀に石上氏と並んで楯矛を立てることに関与が許されるようになったことへも影響したであろう。
ほか氏人には、朴井連子麻呂(天武九年七月)、榎井朝臣大嶋(神亀元年十一月)、榎井朝臣祖足(神護景雲元年正月など)、榎井朝臣小祖(天平宝字元年五月など)、榎井朝臣種人(宝亀二年十一月)、榎井朝臣広国(和銅六年正月など)、榎井朝臣倭麻呂(文武二年十一月など)らが知られる。

宇摩志麻治命の十六世孫・物部荒猪連公、物部弓梓連公、物部加佐夫連公、物部多都彦連公の後裔が榎井臣であるが、連姓の誤記か。(「旧」天孫本紀)

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榎井部 (えのいべ)

無姓。ウヂ名は榎井氏の部曲だったことにもとづく。

饒速日命の四世孫・大矢口根大臣命の後裔。(「録」和泉国神別)

榎井

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大貞 (おおさだ)

連姓。はじめ大俣氏という。下記のように姓氏録によると、天平神護元年に好字をもって大貞連に改めたという。かつて大和国城上郡大神郷付近を本拠としていたか。
和泉国内神名帳の大鳥郡に大貞氏社があるのは、この氏のうち和泉に住んだものの奉斎によるか。
氏人に、桓武朝に左京の人・大俣連三田次、嵯峨朝に大和国の人・大俣連福貴麻呂がみえ、仁明朝に大和国の人・大俣連福山に大貞連の姓を賜っている。

速日命の十五世孫・弥加利大連の後裔。
聖徳太子摂政のとき大椋官(大蔵官)に任じられ、家の辺に大俣の楊樹があり、太子が巻向宮に巡行した際、その樹を指して問い、阿比太連に詔して大俣連の姓を賜ったという。天平神護元年、阿比太の四世孫・千継らに、改めて大貞連の姓を賜った。(「録」左京神別上)

大俣

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大部 (おおとも)

首姓。
高橋氏文に、物部豊日連の後裔の大伴造があったことがみえる。膳氏の配下として膳大伴部を管掌した氏のひとつか。

胆杵磯丹杵穂命の後裔。(「録」未定雑姓)

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大庭 (おおば)

造姓。「旧」天神本紀に五部造としてみえ、饒速日命の天降りに際しては伴領となって天物部を率いたという。
ウヂ名の大庭は和泉国大鳥郡大庭寺の地名にもとづく。また、筑前国上座郡把伎郷の大庭も縁故の地か。
「録」和泉国神別には神魂命八世孫の天津麻良命の後裔を称する大庭造がみえる。天津麻良命は天神本紀に物部造らの祖とある天津麻良に同じか。

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大真 (おおま)

連姓。大貞氏の誤記と見る説がある。

宇摩志麻治命の十五世孫・物部目連公の後裔。(「旧」天孫本紀)

大貞

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大俣 (おおまた)

連姓。「録」左京神別に弥加利大連の後裔で、聖徳太子が巻向宮へ巡行したとき阿比太連の家に立ち寄り、そこにあった大俣の楊樹にちなんで大俣連の姓を賜ったとする伝承を載せる。かつて大和国城上郡に本拠を持っていたことに由来するものだろう。
「録」同条はまた天平神護元年に阿比太連の四世孫・大俣連千継らが大貞連に改めたという。
その後も、後紀延暦二十三年十一月に左京の人・大俣連三田次が大貞連の姓を賜ったことがみえ、弘仁二年閏十二月には大和国の人・大俣連福貴麻呂が大貞連の姓を賜ったことがみえ、続後紀承和四年四月には大和国の人・大俣連福山が大貞連の姓を賜ったことがみえる。

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大宅 (おおやけ)

首姓。ウヂ名は屯倉の管掌に関与していたことにもとづく。河内国河内郡大宅郷か、大和国添上郡大宅郷、もしくは山城国宇治郡山科郷大宅が本拠地か。
氏人には左京の人・大宅首鷹取がいて、応天門の変で伴善男を告発したことで知られる。(三代実録貞観八年八月条)

大閇蘇杵命の孫・建新川命の後裔。(「録」左京神別上、右京神別上)

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興野 (おきの)

宿祢姓。矢田部氏の後裔氏で、摂津を本拠とした。
承和二年十月に、摂津国の人・矢田部聡耳、貞成らが興野宿祢の姓を賜ったことに始まる。

矢田部

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興原 (おきはら)

宿祢姓。
三河国の人・物部敏久は、弘仁四年正月に物部中原宿祢の姓を賜り、弘仁格式の編纂に携わることなどを経て、天長三年ころまでに興原宿祢を称するようになった。

物部中原

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刑部 (おさかべ)

造姓。天武十二年九月以降は連姓、天武十三年十二月以降は宿祢がある。忍壁とも表記される。允恭天皇の皇后・忍坂大中姫の名代の伴造氏。
河内国若江郡刑部郷が本拠地。氏人に持統紀八年六月の河内国更荒郡の人・刑部造韓国がみえる。また、三代実録貞観五年八月に讃岐国多度郡の人・刑部造真鯨が河内に改貫したこと、三代実録仁和元年十月に美濃国多芸郡大領・刑部連春雄がみえるが、これらも同族か。
和名抄によると、刑部郷・忍壁郷は摂津国有馬郡、伊勢国三重郡、三河国碧海郡、遠江国引佐郡、駿河国志太郡、上総国長柄郡、信濃国佐久郡、下野国河内郡、丹波国船井郡、因幡国八上郡・高草郡、備中国賀夜郡・英賀郡、備後国奴可郡・恵蘇郡・三渓郡にあり、刑部が広く設置されていたことが窺われる。

宇摩志麻治命の十一世孫・物部石持連公の後裔。(「旧」天孫本紀)

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刑部垣 (おさかべのかき)

連姓。旧事本紀以外の史料に活動を確認できない。大田亮氏は刑部垣部と読み、垣部=部曲・民部と見る。

宇摩志麻治命の十一世孫・物部石持連公の後裔。(「旧」天孫本紀)

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長田川合 (おさだのかわい)

君姓。ウヂ名の長田は、敏達天皇の訳語田幸玉宮(他田宮)があった大和国の他田の地名にもとづく。また、摂津国八部郡、播磨国賀古郡などにも長田郷がある。他田氏の同族のうち、伊賀国阿拝郡や甲斐国巨摩郡などにみえる川合の地に住んだものか。不詳。
他田君氏の人物には、群馬県高崎市金井沢碑にみえる他田君目頬刀自がいる。

宇摩志麻治命の九世孫・物部竹古連公の後裔。(「旧」天孫本紀)

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小田 (おだ)

連姓。ウヂ名は、摂津国武庫郡雄田郷、もしくは延喜式神名帳の紀伊国伊都郡にみえる小田神社の地にちなむか。ほか、備中国小田郡小田郷、豊後国球珠郡などに小田の地名がある。

宇摩志麻治命の十三世孫・物部建彦連公の後裔。(「旧」天孫本紀)

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越智 (おち)

直姓。のち宿祢姓も出る。小市国造に同族で、伊予国越智郡を本拠とし、同郡の郡領を多数輩出した。
称徳朝に伊予国越智郡大領越智直飛鳥麻呂があり、桓武朝の延暦十八年八月に伊予国の人・越智直祖継を左京に貫したことがみえる。ほか氏人には、越智直広江(続紀養老五年正月など)、越智直蜷淵(続紀神護景雲二年三月など)、越智直入立(続紀宝亀六年正月)、越智直国益(続紀神護景雲元年六月)、越智直静養女(続紀宝亀十一年七月)、越智直広川(続紀延暦十年十二月)などが知られる。
承和二年十一月には、左京の人・越智直年足、伊予国越智郡の人・越智直広成ら七人が宿祢の姓を賜った。三代実録貞観十五年十二月に善淵朝臣の姓を賜ったことがみえる越智直広峯も、「其先出自神饒速日命之後也」という。

石上朝臣と同祖。神饒速日命の後裔。(「録」左京神別上)

宇摩志麻治命の八世孫・物部大小市連公の後裔。(「旧」天孫本紀)
大新河命の孫・小致命の後裔。(「旧」国造本紀)

善淵

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小治田 (おはりだ)

連姓。天武十三年に宿祢姓を賜ったものもある。ウヂ名の小治田は、推古紀に小墾田宮、古事記推古段に小治田宮、続紀二十六巻に大和国高市小治田宮、などとみえる大和高市郡小治田邑の地名によるか、安閑紀元年十月にみえる小墾田屯倉の管理にあたったことによる。天武紀元年六月条によると、同地には小墾田兵庫があったという。
氏人には、三代実録元慶五年十月条の小治田宿祢春雄などがいる。
延喜式神名帳の大和国高市郡にある治田神社は、この氏が奉斎したものか。

石上朝臣に同祖。神饒速日命の後裔。欽明朝に小治田の鮎田を墾開したことにより小治田連の氏姓を賜ったという。(「録」左京神別上)
水取連と同じく、神饒速日命の六世孫・伊香我色雄命の後裔。(「録」右京神別上)

宇摩志麻治命の四世孫・六見宿祢命の後裔。(「旧」天孫本紀)

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