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 か 

鏡作小軽馬 (かがみつくりのおかるま)

連姓。旧事本紀のみにみえる氏で、一字脱落を考えて、鏡作連と小軽馬連の二氏と見る説もある。
鏡作は鏡の製作にあたった鏡作部の伴造だったことにもとづき、始祖物部鍛治師連公の名も金属加工にちなんで生まれたのであろう。小軽馬は軽馬・借馬に同じか。

宇摩志麻治命の十一世孫・物部鍛治師連公の後裔。(「旧」天孫本紀)

借馬

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風速 (かざはや)

直姓。風早、風隼ともいう。風速国造に同族。和名抄にもみえる伊予国風早(加佐波夜)郡を本拠とする。
続日本後紀承和六年十一月に伊予国の人・外従五位下風早直豊宗らが善友朝臣の姓を賜り、左京に貫附されたことがみえるが、そこには「天神饒速日命之後也」とある。ほか、氏人には類聚国史天長七年六月にみえる節婦伊予国人風早直益吉女などがいる。続後紀天長十年十月に安芸国賀茂郡孝子風早富麻呂があるのは、伊予から移り住んだ一族か。

伊香色男命の四世孫・阿佐利命の後裔。(「旧」国造本紀)

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柏原 (かしはら)

連姓。物部柏原ともいう。
続紀延暦四年十一月に「祀天神於交野柏原」とある河内国交野郡の地が本拠地か。また、和名抄には駿河国駿河郡などに柏原郷のあることがみえ、豊後国風土記には直入郡柏原郷がある。持統紀三年七月にみえる河内国渋川郡の人、柏原広山もこの氏の人物か。

矢田部連に同じく、伊香我色乎命の後裔。(「録」左京神別上)

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肩野 (かたの)

連姓。交野、片野、物部肩野ともいう。河内国交野郡を本拠地とする。肩野物部の伴造か。
三代実録元慶元年十二月に「出自神饒速日命也」とみえ、氏人の道主と乙守が姓を良棟宿祢に改めたことがみえる。

矢田部連に同じく、伊香我色乎命の後裔。(「録」左京神別上)
曽祢連と同じく、神饒速日命の六世の後裔。(「録」右京神別上)

宇摩志麻治命の七世孫・多弁宿祢命、同十四世孫・物部臣竹連公の後裔。(「旧」天孫本紀)

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肩野物部 (かたののもののべ)

無姓。「旧」天神本紀に、饒速日命に供奉して天降ったことがみえる。肩野連氏はこの伴造と見られる。
ウヂ名の肩野は、河内国交野郡の地名にもとづく。また和名抄にみえる肥後国片野駅の地にも縁故ありか。

肩野

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葛野 (かどの)

連姓。山城国葛野郡葛野郷を本拠地とする。
氏人には、山背国愛宕郡計帳にみえる葛野大連馬甘らがいる。

佐為連に同じく、速日命の六世孫・伊香我色乎命の後裔。(「録」左京神別上)

宇摩志麻治命の十五世孫・物部奈西連公の後裔。(「旧」天孫本紀)

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葛野韓国 (かどののからくに)

連姓。物部韓国氏のうち、山城国葛野郡を本拠としたもの。

宇摩志麻治命の十四世孫・物部塩古連公の後裔。(「旧」天孫本紀)

韓国

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香取 (かとり)

連姓。ウヂ名は下総国香取郡香取郷の地名にもとづく。香取神宮の社家であった。
香取大宮司系図に、経津主尊の後裔を称する。香取連の姓は敏達朝に豊佐登連が賜ったものといい、その子孫・五百嶋は下総国匝瑳郡に居住したという。匝瑳に勢力を持つ物部連との関係が考えられるだろう。
この香取連五百嶋は、続紀神亀元年二月に私穀を陸奥国鎮所に献じたことにより外従七位上から外従五位下に叙せられたことがみえる。

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金刺舎人 (かなさしのとねり)

ウヂ名は欽明天皇の磯城島金刺宮に奉仕する舎人を出したことにもとづく。
国造級地方豪族の一族から興った氏で、このうち珠流河国造は「旧」国造本紀に物部氏族といい、駿河国の金刺舎人氏も物部氏同族と見られる。
ウヂ人に、駿河国益頭郡の人・金刺舎人麻呂(天平宝字元年八月)、駿河国駿河郡大領で駿河国造に任じられた金刺舎人広名(延暦十年四月)らがいる。

珠流河

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神野入州 (かみののいりす)

連姓。ウヂ名の神野は、伊予国神野郡(のちの新居郡)、もしくは和泉国日根郡の神野荘、讃岐国那珂郡神野郷(のちの真野郷)の地名にもとづくか。入州は不詳。

宇摩志麻治命の十四世孫・物部老古連公の後裔。(「旧」天孫本紀)

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韓国 (からくに)

連姓。辛国、物部韓国ともいう。本拠地には和泉国和泉郡唐国(和泉志)など諸説ある。
ウヂ名の由来については、続日本紀延暦九年十一月に韓国連源らが「是物部大連等之苗裔也」「源等先祖塩児、以父祖奉使国名故改物部連為韓国連」と上奏したことがみえ、下記の姓氏録和泉国神別にも同様の記事があるように、物部氏の一流が韓国に派遣されたことにちなむ。また、渡来系集団による物部氏同族への冒称と見る説もある。
氏人には、上記の韓国連源のほか、役君小角に師事し、のち天平四年十月に典薬頭に任じられた韓国連広足や、物部韓国連真成(続紀延暦八年正月)がいる。

伊香我色雄命の後裔。(「録」摂津国神別)
采女臣に同祖。神饒速日命の六世孫・伊香我色雄命の後裔。武烈朝に韓国に遣わされ、復命したときに韓国連の姓を賜ったという。(「録」和泉国神別)

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苅田 (かりた)

首姓。三代実録貞観十二年十二月に、伊予国宇摩郡の人、苅田首倉継・苅田首浄根らに物部連の姓を賜ったことがみえる。ウヂ名の苅田は讃岐国苅田郡の地名にもとづき、伊予国へ移り住んだものがいたのだろう。

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軽部 (かるべ)

造姓。ウヂ名は允恭天皇の子・木梨軽皇子の名代部を管掌したことに基づく。
和名抄には和泉国和泉郡をはじめ、下総国海上郡、下野国河内郡、但馬国養父郡、備前国赤坂郡、備中国窪屋郡に軽部郷がみえる。ほか、聖武朝に摂津国島上郡の人・軽部造弓張がみえ、摂津国などへの展開が知られる。

石上朝臣と同祖。神饒速日命の後裔。(「録」左京神別上)

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借馬 (かるま)

連姓。「かしま」「かりま」とも読まれる。物部借馬とも呼ばれ、軽間・軽馬・苅間と同氏か。
ウヂ名は常陸国鹿島郡の地名にもとづくか。不詳。
氏人には、神護景雲元年三月に正六位上から外従五位下に叙せられ、宝亀三年十一月に修理次官に任じられた軽間連鳥麻呂がいる。

宇摩志麻治命の十二世孫・物部麻作連公、同十三世孫・物部金連公、同十四世孫・物部金連公の後裔。
宇摩志麻治命の十三世孫・物部長目連公の後裔。(「旧」天孫本紀)

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川上 (かわかみ)

造姓。続日本後紀承和元年十二月に、散位従七位下の川上造吉備成が春道宿祢の姓を賜ったことがみえ、伊香我色雄の後裔とされる。

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巫部 (かんなぎべ)

連姓。天武十三年十二月以降は宿祢姓も出る。
巫部の職掌は不明だが、神に仕え神意を求める職に従事したものか。その伴造氏。「旧」天孫本紀が始祖の真椋を、雄略朝の大連・布都久留と目(「紀」)の兄に位置づけるのは、この職掌がかつて重視されていたことによるか。
続日本後紀承和十二年七月に巫部宿祢公成らが当世宿祢に改めたことがみえるが、始祖物部真椋連は雄略朝に天皇が病のとき、筑紫の奇巫を迎え、それを救ったことにより巫部の姓を賜ったとする伝承を持っていたことが知られる。下記姓氏録和泉国神別にも同様のことがみえる。
ほか、氏人には巫部宿祢博士(続紀大宝二年三月)、巫部宿祢鎌取(続紀天平勝宝四年五月)、巫部宿祢公成(続後紀承和十二年七月)、巫部宿祢諸成(続後紀承和十二年七月)などがみえる。

神饒速日命の六世孫・伊香我色雄命の後裔。(「録」右京神別上)
饒速日命の十世孫・伊己布都乃連公の後裔。(「録」山城国神別)
若湯坐宿祢に同じく、石上朝臣に同祖で、神饒速日命の六世孫・伊香我色雄命の後裔。(「録」摂津国神別)
韓国連に同じく、采女臣と同祖。神饒速日命の六世孫・伊香我色雄命の後裔。雄略天皇病のとき、筑紫豊国の奇巫を召し上げ、真椋に率い仕え奉ったことにより、巫部連の姓を賜ったという。(「録」和泉国神別)

宇摩志麻治命の十一世孫・物部真椋連公の後裔。(「旧」天孫本紀)

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衣縫 (きぬぬい)

造姓、連姓、および無姓がある。衣服の縫製を職掌とした部とその伴造氏。
氏人には、崇峻紀元年に法興寺を建てるために家を壊されたという飛鳥衣縫造の祖・樹葉がいる。ほか、続紀大宝三年二月条に連姓を賜ったことがみえる衣縫造孔子、霊異記上に推古朝の人としてみえる衣縫伴造義通もこの一族の出だろう。大阪府藤井寺市惣社衣縫の衣縫廃寺は、この氏の本拠地に造られた氏寺か。

石上朝臣と同祖。神饒速日命の後裔。(「録」左京神別上)
物部に同じく、饒速日命の六世孫・伊香我色雄命の後裔。(「録」和泉国神別)

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杭田 (くいだ)

連姓。ウヂ名の杭田は地名によるか。不詳。

宇摩志麻治命の八世孫・物部止志奈連公の後裔。(「旧」天孫本紀)

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日下部 (くさかべ)

無姓と伊豆国造系の直姓がある。雄略天皇の皇后・草香幡梭姫皇女(若日下部王)の名代部かその伴造氏。和名抄にある日下部にちなんだ郷は、和泉国大鳥郡をはじめ十七ヶ国にみえ、広く設置されたことが窺われる。

神饒速日命の孫・比古由支命の後裔。(「録」河内国神別)

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久自 (くじ)

久自国造。常陸国久慈郡を本拠とする。

伊香色雄命の三世孫・船瀬足尼の後裔。(「旧」国造本紀)

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久努 (くぬ)

直姓。久奴とも表記し、「くど」「くの」とも読む。和名抄にみえる遠江国山名郡久努郷を本拠地とする。「旧」国造本紀にいう久努国造を輩出した。

宇摩志麻治命の八世孫・物部大小木連公の後裔。(「旧」天孫本紀)
宇摩志麻治命の八世孫・物部印岐美連公の後裔。(「旧」天孫本紀)
伊香色男命の孫・印播足尼の後裔。(「旧」国造本紀)

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熊野 (くまの)

連姓と直姓がある。紀伊国牟婁郡を本拠とする。熊野直は熊野国造に同族。
氏人に、称徳朝の牟婁采女熊野直広浜がいて、神護景雲三年四月に卒したとき散事従四位下だったという。

阿刀宿祢に同じく、饒速日命の孫・味饒田命の後裔。(「録」山城国神別)
饒速日命の五世孫・大阿斗足尼の後裔。(「旧」国造本紀)

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久米物部 (くめのもののべ)

無姓。来目物部とも表記する。「旧」天神本紀に、饒速日命に供奉して天降ったことがみえる。
ウヂ名の久米は、清寧即位前紀に「難波の来目邑」とみえる摂津国住吉郡榎津郷の来目、もしくは大和国高市郡来目郷の地名にもとづく。伊予国久米郡、伊予国喜田郡久米郷、常陸国久慈郡久米郷も所縁の地か。
ウヂ人には、舒明即位前紀に蘇我大臣蝦夷の命を受けて境部臣摩理勢を絞殺した来目物部伊区比がいる。

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椋椅部 (くらはしべ)

連姓。椋橋部、倉椅部ともいう。ウヂ名は崇峻天皇の倉梯柴垣宮にちなんだ名代部を管掌したことによるもの。
無姓の椋椅部では、万葉集巻二○に物部歳徳の妻・椋椅部刀自売、物部真根の妻・椋椅部弟女がみえる。

伊香我色雄命の後裔。(「録」未定雑姓)

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栗栖 (くるす)

連姓。「くりす」と読まれることもある。延喜式神名帳の河内国若江郡にみえる栗栖神社の地が本拠で、神社はこの氏によって奉斎されたものと見られる。ほか、大和国忍海郡来栖郷も縁故の地か。

神饒速日命の子・于摩志摩治命の後裔。(「録」河内国神別)

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