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「因幡国伊福部臣古志」 伊福部氏の系図


 

 

因幡国伊福部臣古志 并せて序

散位従六位下伊福部臣冨成(いふきべのおみとみなり)撰す

それ前條を観て、はるかに玄古を稽ふるに、国常立尊より以降、素盞嗚尊までは、国史を披き閲して知りぬべし。故、降りて大己貴神を以て、始祖と為す。昔、先考邑美郡の大領外正七位下、諱は公持臣(きみもちのおみ)、右馬少允正六位下佐美麻呂臣(さみまろのおみ)と宴飲し、酒たけなはに常に古志を論ず。蒙、常に隅に座して、膚に鏤め骨に銘す。恐くは末裔聞かざるが故に、伝を転して之を示す。但し道聞衢説は、蒙の取らざる所なり。時に延暦三年歳次甲子なり。

第一 大己貴命 [此れを於保奈无知命と云ふ。] [地神五代の内、第二の天忍穂耳尊と申すは、国造の始なり。]

一名は大国主神。亦の名は国作大己貴命。亦の名は葦原醜男[此れを志己乎と云ふ。]神。
亦の名は八千戈神。亦の名は顕[此れを宇都志と云ふ。]国玉神。亦の名は大国玉神。亦の名は大物主神。
惣て八つの名有る神なり。
父は素盞嗚神と曰ひ、母は脚摩乳神の女、奇稲田姫と曰ふ。或る書に曰はく国神足名槌の女、櫛名田媛命は、是れ同じきなり。今、国の是之に祭る所の国主神稲葉の杖社等の類は、是れ大己貴の霊魂なり。

第二 五十研丹穂命(いきしにほのみこと)

父は大穴牟遅命と曰ふ。
母は天照大神尊の弟、忍小媛命(おしをひめのみこと)と曰ふ。

第三 建耳丹穂命(たけみみにほのみこと)

父は伊伎志尓冨命と曰ふ。

第四 伊瀬丹穂命(いせにほのみこと)

或る書に曰はく、天丹戈命(あまのにほこのみこと)。一書に曰はく、荒田磯丹穂命(あらたいそにほのみこと)
一書に曰はく、天日椅乃命(あまのひはしのみこと)

第五 天沼名桙命(あまのぬなほこのみこと)

一書に曰はく、天蕤戈命(あまのぬほこのみこと)

第六 天御桙命(あまのみほこのみこと)

第七 荒木臣命(あらきのおみのみこと)

一書に曰はく、荒根使主命(あらねのおみのみこと)

第八 櫛玉饒速日命(くしたまにぎはやひのみこと)

已上の六つ神は、母の名を闕く。
此の命、天磐船に乗り、天より下り降りる。虚空に浮かびて、遙かに日の下を見るに、国有り。因りて日本(ひのもと)と名づく。見る所の国、正に日の出に当れり。故、葦原中国を、更、日本国と名づく。


第九 可美真手命(うましまでのみこと) [可美此れを汙麻斯と云ふ。]

櫛玉饒速日命の子。
母は等弥夜媛(とみやひめ)と曰ふ。

第十 彦湯支命(ひこゆきのみこと)

宇麻斯遅命の子。
母は伊古麻村の五十里見命の女、河長媛と曰ふ。

第十一 出雲色雄命(いづもしこをのみこと) [一書に曰はく、彦太忍信命。]

彦湯支命の子。
母は出雲臣の祖、髪長姫と曰ふ。

第十二 内色雄命(うつしこをのみこと) [一書に曰はく、屋主忍命。]

色雄命の子。
母は近江国の河枯の伊波比長彦(いはひながひこ)の女、白媛と曰ふ。

第十三 伊香色雄命(いかがしこをのみこと) [一書に曰はく、屋主忍男武雄心命。]

内色雄命の子。
母は芹田真若姫(せりたのまわかひめ)と曰ふ。

第十四 武牟口命(たけむくちのみこと) [今、武内と用ふ。]

伊香色雄命の子。
母は布斗姫(ふとひめ)と曰ふ。[一は山代竹姫と云ふ。一は山下姫、菟道彦の女影媛と云ふ。]
此れ武牟口命は、纏向日代宮に御宇大足彦忍代別天皇の皇子日本武尊に陪り従ひて、吉備彦命・橘入来宿祢(たちばなのいりきのすくね)等と与に、相ひ共に征西の勅を奉りて、去り行きぬ。時に或る人、針磨国より言して曰はく。稲葉の夷住山[智頭郡の西に在る高き山の名なり。]に住める荒海、朝命に乖き違いて、当に征討すべしと。時に日本武尊、詔して曰はく、汝、武牟口宿祢は、退き行きて伏せ平ぐのみ。吾は筑紫を平げて、背の方より将に廻り会はんとす。時に詔を奉りて行くに、荒海が里の人、郡々良麻、参り迎へて槻弓八つ枝を献る。

第十五 意布美宿祢(いふみのすくね) [一書に曰はく、葛城襲津彦。]

武牟口命の子。
母は伊冨頭久媛(いふづくひめ)と曰ふ。

第十六 伊其和斯彦宿祢(いきわしひこのすくね)

伊布美宿命の児。
母は真玉姫と曰ふ。
伊其和斯彦宿祢命は、磯香高穴穂に御宇稚足彦天皇の御世、仕へ奉る。故、天皇の詔りたまはく、「汝が祖の建牟口宿祢の生血も濡れ死血も濡れて伐ち伏せ定て仕へ奉れる稲葉の国の公民を撫養ひ仕へ奉れ」と詔て楯槍大刀を賜ひて彼の国の大政小政をハ持て申し上る国造と定め賜ひて退け遣すと詔したまひき。其の賜ふ所の大刀等は、今、神として祭る。俗に名を伊波比社と曰ふ、是れなり。第一の剣は長さ二尺五寸、第二の剣は長さ一尺八寸五分、第三の剣は長さ一尺八寸九分、第四の剣は長さ一尺七寸五分、第五の剣は長さ一尺六寸五分、第六の剣は長さ二尺二寸二分、[養老五年歳次辛酉三月六日の記定に依り抜かず。]第七の剣は長さ二尺一寸五分。五口は諸刃なり。

第十七 建火屋宿祢(たけひやのすくね)

伊其和斯彦命の児。
母は坂戸媛と曰ふ。

第十八 阿良加宿祢命(あらかのすくねのみこと)

健火屋宿祢の子。
母は斯羅媛(しらひめ)と曰ふ。

第十九 汙麻宿祢命(うまのすくねのみこと)

阿良加宿祢命の子。
母は倭媛(やまとひめ)と曰ふ。

第二十 若子臣(わくごのおみ)

汙麻宿祢命の子。
母は風媛(かざひめ)と曰ふ。
若子臣は、遠飛鳥宮に御宇雄朝津間稚子宿祢朝廷に仕へ奉る。その時、天皇勅りたまはく、「汝が祖の国造と遣す所の状、彼の本所の由を具に申せ」と問ひ賜ふ。時に行て詔りたまはく、「是の如き事は、世々語生すべからず」と詔りたまふ。便ち祷祈を以て気(いふき)を飄風(はやて)に変化す。書て姓を気吹部臣(いふきべのおみ)と賜ふ。之れ若子宿祢命に始る。
天皇元年壬子より、延暦三年甲子に至るまで、合せて三百七十四歳。

第二十一 馬養臣(うまかひのおみ)

若子臣の子。母は長依媛と曰ふ。

第二十二 尓波臣(にはのおみ)

馬養臣の子。
母は田媛と曰ふ。

第二十三 阿佐臣(あさのおみ)

尓波臣の子。
母は多姫(おほひめ)と曰ふ。

第二十四 颶飄臣(つむじのおみ)

阿佐臣の児。
母は乎居乃古郎女(をけのこのいらつめ)と曰ふ。

第二十五 小智久遅良臣(くぢらのおみ)

飄臣の子。
母は斯羅媛と曰ふ。
止与須岐部悪女(とよすきべのあくめ)を娶り、味河古乃臣(うましかこのおみ)を生む。次に命古臣(めいこのおみ)。次に乎売(をめ)。次に宿奈売(すくなめ)。また、同族伊比頭売(いひづめ)を娶り、子、汙奈売(うなめ)を生む。
是れ久遅良臣は、小治田宮に御宇豊御食炊屋姫天皇庚辰の年、臣連伴造国造諸民の本記を定め賜ふ。時に先祖等の仕へ奉れる状を具に顕し曰て国造と仕へ奉り、小智冠を授る。
天皇元年癸丑より、延暦三年甲子に至るまで、合せて一百九十二歳。

第二十六 大乙上都牟自臣(つむじのおみ) [皇興寺の願主]

久遅良臣の児。
母は熊媛と曰ふ。
同族祖代乃臣(おやしろのおみ)の女子伊比頭売を娶り、児大乙上国足臣を生む。[今、別に法美郡に奉仕す。]又、味野の伊和塩古君(いわしほこのきみ)の女小宮刀自(をみやのとじ)を娶り、子小乙中与曽布(よそふ)を生む。次に進広弐与佐理(よさり)。[是の二人は、今、別に邑美郡に奉仕す。]
是れ大乙上都牟自臣は、難波長柄豊前宮に御宇天皇天萬豊日天皇二年丙午、水依評を立て督に任じ、小智冠を授く。爾の時、因幡国は一郡を為て、更に他郡無し。三年丁未、小黒冠を授く。五年己酉、大乙下を授く。後岡本朝四年戊午、大乙上を授く。同年正月、始て水依評を壊ち、高草郡を作る。同年三月十一日を以て死去す。
天萬豊日天皇元年壬寅より、延暦三年甲子に至るまで、一百四十三歳。

第二十七 大乙上国足臣(くにたりのおみ) [従四位上左衛門督][四十二代文武天皇御宇大宝年中]

第二十八 小徳臣(をとくのおみ) [正三位大納言]

第二十九 志太留臣(したるのおみ) [左京大夫中納言従三位]

第三十 黒麻呂臣(くろまろのおみ) [中務大輔従三位]

(以下省略)
 

田中卓『日本国家の成立と諸氏族』をもとに作成。佐伯有清『新撰姓氏録の研究 索引・論考篇』、『古代氏族の系図』を参考にしました。
 

饒速日命を我が国の国号「日本」の命名者にあてることで有名な史料です。
伊福部氏は、因幡国法美郡・邑美郡の郡領を輩出し、因幡国一の宮・宇倍神社の社家でもあった氏です。因幡国伊福部臣古志は延暦三年に成立し、以後も追記があったといわれます。
成務朝の伊其和斯彦宿祢以降、同氏が国造を代々世襲したとされていますが、国造本紀に彦坐王の後裔を称する稲葉国造がみえるなど、国造の地位が一系に固定されていたことには疑いが持たれるようです。
大己貴命の系譜と饒速日命の系譜が繋げられていることが特徴のひとつで、これは因幡国の地域的な特徴ともいえるでしょうか。武牟口命を武内宿祢に、その子の意布美宿祢を葛城襲津彦と同一視するなどしているのは、後の付会でしょう。


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