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『住吉大社神代記』膽駒神南備山本記


膽駒(いこま)神南備山(かむなびやま)の本記

四至 [東を限る、膽駒川(いこまかは)・龍田の公田。南を限る、賀志支利坂(かしきりさか)・山門川(やまとかは)・白木坂・江比須墓(えひすのはか)。西を限る、母木里(おものきのさと)の公田・鳥坂(とりさか)に至る。北を限る、饒速日山(にぎはやひやま)。]

右、山の本記は、昔、大神の本誓(みうけひ)に依り、寄さし奉る所、巻向の玉木宮(たまきのみや)に御宇(あまのしたしろしめ)しし天皇・橿日宮(かしひのみや)に御宇しし天皇なり。
熊襲国・新羅国・辛嶋(からしま)を服はしめ賜ひ、長柄泊(ながらのとまり)より膽駒嶺(いこまのみね)に登り賜ひて宣り賜はく、「我が山の木の実・土毛土産(くにつもの)等をもて斎祀(いつきまつ)らば、天皇が天の下を平らけく守り奉つらむ。若し荒振(あらぶ)る梟者あらば、刃に血ぬらずして挙足誅(けころし)てむ」と宣り賜ふ。
大八嶋国の天の下に日神を出し奉るは、船木の遠祖、大田田神(おほたたのかみ)なり。此の神の造作(つく)れる船二艘[一艘は木作り、一艘は石作り。]を以て、後代の験(しるし)の為に、膽駒山の長屋墓(ながやのはか)に石船、白木坂の三枝墓(さきくさのはか)に木船を納め置く。
唐国に大神の通ひ渡り賜ふ時、乎理波足尼命(をりはのすくねのみこと)、この山の坂木を以て、迹驚岡(とどろきのをか)の神を岡に降し坐して斎祀る。時に恩智神(おむちのかみ)、参り坐在す。かれ、毎年の春秋に墨江(すみのえ)に通ひ参ります。之に因り、猿の往来絶えざるは、此れ其の験なり。
[母木里と高安国との堺に諍石(いさめのいし)在置(あ)り。大神、此の山に久く誓ひ賜ひて、「草焼く火あり、木は朽ちるとも、石は久遠(とは)に期(ちぎ)らむ。」とのたまひき。]

佐伯有義『神祇全書 第三輯』より作製。田中卓『田中卓著作集7住吉大社神代記の研究』を参考にしました。


『住吉大社神代記』は、摂津国住吉郡の住吉大社の鎮座縁起や神宝・神領などについて記された文献です。天平三年七月に神祇官へ提出された解文で、編纂者は津守宿祢嶋麻呂、津守宿祢客人とされます。成立年代については、坂本太郎氏の元慶三年以降の造作と見る説や、それを批判する田中卓氏の天平三年原撰・延暦初年書写説があります。
その一部分である膽駒神南備山本記は、生駒山の神領とそこにまつわる伝承についての記述がされた箇所で、四至の北限に「饒速日山」のあることが注目されます。先代旧事本紀に櫛玉饒速日尊が天降ったとされる、「河内国河上哮峰」との関係が考えられそうです。
また、船木氏の遠祖・大田田神が造った船によって、天下に太陽神が招き出されたという所伝など、興味深いです。

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