物部の楯
年月日 |
立てた人物 |
呼称の差異と場所 |
理由 |
持統四(690)年 正月戊寅朔(1日) |
物部麻呂朝臣 | 大盾 | 持統天皇即位 |
文武二(698)年 |
直広肆榎井朝臣倭麻呂 | 大楯 | 文武天皇即位大嘗祭 |
直広肆大伴宿祢手拍 | 楯桙 | ||
神亀元(724)年 十一月己夘(23日) |
従五位下石上朝臣勝男 従五位下石上朝臣乙麻呂 従六位上石上朝臣諸男 従七位上榎井朝臣大嶋ら |
神楯 |
聖武天皇即位大嘗祭 |
天平十四(742)年 正月丁未朔(1日) |
石上榎井両氏 | 大楯槍 | 恭仁京遷都 |
天平十六(744)年 三月甲戌甲子朔(11日) |
石上榎井二氏 |
大楯槍 |
難波宮遷都 |
天平十七(745)年 正月己未朔(1日) |
兵部卿従四位上大伴宿祢牛養 衛門督従四位下佐伯宿祢常人 (急な造都で石上・榎井氏を召し集めることができなかったとの分注あり) |
大楯槍 | 紫香楽宮遷都 |
天平十七(745)年 六月庚子(14日) |
記載なし | 大楯 宮門 |
平城京還都 |
宝亀二(771)年 十一月癸夘(21日) |
参議従三位式部卿石上朝臣宅嗣 丹波守正五位上石上朝臣息嗣 勅旨少輔従五位上兼春宮員外亮石上朝臣家成 散位従七位上榎井朝臣種人 |
神楯桙 | 光仁天皇即位大嘗祭 |
延暦四(785)年 正月丁酉朔(1日) |
石上、榎井二氏 | 桙楯 | 長岡京遷都 |
上は『日本書紀』『続日本紀』から、朝廷の儀式において「楯(盾)」を立てた例を集めたものです。このほか、『万葉集』に元明天皇の和銅元年御製歌として、
元日儀と同様に、物部氏後裔の石上氏・榎井氏の各二人が、内物部(衛門府所属の物部)を率いて、大嘗宮の南北の門に楯と鉾を立てることが定められていました。
物部氏が楯を立てることの由来は明らかではありませんが、大伴氏などを退けて独占的な立場を得たことは、楯が聖なる場を邪霊から守護する存在と見られていたのであり、かつて物部が呪術的戦士団だったことと関係するようです。 『日本後紀』以降には、これに関する記事は見えなくなります。 |