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保渡田古墳群は、榛名山の南麓、井野川の流域に位置する、5世紀後半ころに営まれた古墳群です。3基の大型古墳を中心に形成されました。
群馬県高崎市(旧群馬郡群馬町)の保渡田と井出にまたがって所在し、かみつけの里博物館が併設されています。

井出二子山古墳 [地図]

井出二子山古墳は、墳長108mの前方後円墳です。墳丘に造出しを持たない代わりに、二重の楯形周濠の中に四つの中島を持ちます。

近年、発掘調査が終了し、きれいに整備されました。

後円部の主体部には舟形石棺。実寸大の写真パネルが置いてあります。

古墳群内の三大古墳のうちでは最も古く、須恵器編年でいえばTK23型式(新相)〜TK47型式(古相)期の、いわゆる「雄略朝の画期」時代の古墳です。
この時期に100mを越える規模を持つのは、全国でもこの古墳を含めて4基のみで、ヤマト王権と強い繋がりを持った、かなりの有力者が葬られたようです。

 

保渡田八幡塚古墳 [地図]

保渡田八幡塚古墳は、墳長102mの前方後円墳です。やはり楯形の周濠と、四つの中島を持ちます。
5世紀後半、二子山古墳に続いて築かれたと見られています。

コンクリートに覆われた格好で葺石を再現。一般市民の協力によって復元された埴輪も並びます。

内堤上の埴輪群像(復元)。
その意味づけには、王位継承儀礼説、殯説、頌徳説、犠牲説、神仙世界説など、諸説あります。

後円部の階段を降りると、舟形石棺を見ることができます。

 

保渡田薬師塚古墳 [地図]

保渡田薬師塚古墳は墳長105mの前方後円墳です。西光寺の敷地内にあります。お寺の建物がある都合で、墳丘は一部削られてしまっています。

ここも、楯形の周濠を持って、総長では164mにも達していたらしいです。
築造時期は、5世紀末〜6世紀初頭ころと見られています。

墳丘上に、舟形石棺が見学しやすく置いてあります。鏡・玉類・馬具が出土しているのだそうです。

この古墳群の被葬者には、地名の群馬(くるま)との繋がりで上毛野氏の同族とされる車持氏をあてるのが、最も有力です。
ただし、安易な結びつけを批判して、これを否定する説もあります。

 

三ツ寺I遺跡 [地図]

保渡田古墳群の南東約1kmのところにある、三ツ寺I遺跡です。上越新幹線の工事で発見された、豪族居館遺跡です。

井野川の支流・猿府川を利用した堀が周囲にめぐらされ、内部では水を用いた祭祀が行われていたと見られています。
時期が並行することから、古墳群の被葬者に関係するものと考えられています。

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参考
若狭徹『古墳時代の地域社会復元 三ツ寺I遺跡』
かみつけの里博物館『第7回特別展図録 はにわ群像を読み解く』
かみつけの里博物館『第9回特別展図録 グンマはクルマから始まった』
関口功一「地域支配の重層性に関する一考察」 『東国の古代氏族』
山田俊輔「雄略朝期の王権と地域」 『史観』第158冊