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石の宝殿 [地図]

兵庫県高砂市阿弥陀町生石に鎮座する、生石(おうしこ)神社です。
養和年間の成立かという播磨国内神名帳に見える、「生石太神」はこの神社に祀られる神と見られます。

全山が熔結凝灰岩からなり、古墳時代の石棺の石材産地として有名な、竜山の東中腹に位置します。

祭神は、大己貴神と少彦名神。社伝には崇神朝の創建といいます。

この神社のご神体が、謎の石造物「石の宝殿」です。
拝殿の下を通って奥に進むと、その巨大な姿に圧倒されます。

正面の最大幅は645センチ、
奥行きは546センチ、
最大高は570センチのほぼ直方体です。
背面に角状の突起を作り出しているので、奥行きの全長は720センチ程になります。
両側面とおそらく上面には、幅約160センチ、深さ20数センチの溝が廻っています。
下部は周囲からえぐられ、雨水がたまっているので、石は池に浮かんでいるかのように見えます。
『播磨国風土記』の印南郡大国里条に「作石」「大石」として記されており、8世紀初頭以前から現在の形で存在していたことがわかります。
古代史料と考古学上の遺跡とが一致する、貴重な例のひとつです。
『万葉集』巻三には、生石村主真人の歌として、
「大汝少彦名のいましけむ 志都の石屋は幾代へぬらむ」
が見えます。「しづのいわや」の比定地は島根県などにもあるようですが、石の宝殿をあてる説が最も有力視されています。
比較的早くから信仰の対象になったことがわかります。
風土記は位置と大きさに続いて、
「聖徳王御世弓削大連所造之石也」
という伝説を記します。物部弓削大連、守屋が造らせたものだというのです。
印南郡には法隆寺の寺地が多く、物部守屋が聖徳太子に討たれたという伝承が一帯に広がっていた可能性が高いです。その伝承と未完成に見える石造物を結びつけ、太子伝説の一環として、守屋の遺品という伝えが生まれたものでしょうか。
『兵庫県史 考古資料編』(平成4年)の中で西谷真治氏は、「家型石棺の製作技術との類似から考えると、およそ六世紀代のものとしてよいであろう」としています。
森浩一氏のように、物部守屋の墓として製作されていたものが、未完成のまま、河内へ運ばれることなく放棄されたと見るのも面白いかもしれません。
JR宝殿駅前に、模型が置かれています。

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