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石切剣箭神社 本社(下之社) [地図]

大阪府東大阪市東石切町1丁目に鎮座する、石切剣箭神社です。

『延喜式』神名帳の河内国河内郡に「石切剣箭命神社」がみえます。

楼門(絵馬堂)の屋根には、社号にちなむ「剣」と「箭」のモニュメントが乗っています。

他の神社では門の左右に随身(随神)を配することがありますが、ここでは祭神の像がみられます。
左が弓箭(天の羽羽弓・羽羽矢)を持つ饒速日尊、右が剣(布都御魂剣)を持つ可美真手命のようです。

「石切剣箭命」という神は『延喜式』以外にはみられませんが、石をも切りつらぬく剣と箭の神と解釈すれば、物部氏に所縁とされる神社にふさわしいといえそうです。
物部氏は配下に武器製造の技術集団を従え、布都御魂の剣神信仰を持っていました。
石切剣箭命も、フツ神もしくは祖神である饒速日尊と同一視されることがあったのでしょう。

神武天皇の治世二年、可美真手命が亡父・饒速日尊を生駒山腹の宮山に祀ったことを創祀とします。
崇神朝には可美真手命が、ここ下之社に祀られたといいます。

『旧事本紀』天神本紀によれば、饒速日尊は「河内国河上の哮峯」に天降ったとされます。
哮峯の具体的な位置に定説はありませんが、河内国で峯といえばまず生駒山系が挙げられるのは間違いなく、その生駒山を背後に望む石切剣箭神社を物部氏関係の神社にあてるのは、妥当なところでしょうか。

腫れ物や癌に効験あらたかな神社として全国的な崇敬を受けます。

社号から連想されるような、良くない部分をスッパリ切り祓ってくれるイメージとともに、祭神饒速日尊が『旧事本紀』において死者をも蘇らせる力を天神御祖から与えられたとされることと関係しているようです。

境内の神武社。

祭神は神倭磐余彦尊(神武天皇)です。
神武天皇が武運を占った際の蹴り上げ石を、霊代として祀っているそうです。

穂積神霊社。

明治四十五年に焼失し穂積堂に祀られていた神霊を神社として再興したもののようです。

社家の木積氏は、『古事記』『日本書紀』『姓氏録』などに饒速日命・可美真手命の後裔としてみえる物部氏族穂積臣の末裔を称します。

 

石切剣箭神社 上之社 [地図]

東大阪市上石切町2丁目の石切上之社(上之宮)です。

独特な雰囲気の参道商店街を抜け、本社から東へ1kmほどのところに位置します。

祭神は本社と同じく、饒速日尊と可美真手命です。

「石切」の名称について、志賀剛氏は、当地は「生駒山の石を切出すことが多いから神名はこれに由来するであろう」、「上代の古墳の石も切ったであろう(生駒山麓の古墳群を想像すべきである)」とします。

 

上之社は、宮山に祀られていた神を、慶安三(1650)年に遷したことに始まります。
明治期に下之社との合祀を経ますが、昭和四十七年に再建されました。

上之社から左に進んだところにある、婦道神社です。
日本武尊の妃、弟橘媛命を祀ります。穂積氏の祖、忍山宿祢の娘です。

「自らを顧みず献身された弟橘姫命を日本の婦道の鑑とするため」に、ここに鎮座しているとありました。

登美霊社。
饒速日尊の妻で美真手命の母である三炊屋媛(登美夜毘売)を祭神とします。

「長髄彦の妹で、この地に降臨された饒速日尊と兄との間を取り持ち、後の神武天皇建国の大業に一族が大きな功績を建てられる礎を作られました」とありました。

ユニークなデザインの社殿です。

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