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石上神宮 [地図]

奈良県天理市布留町に鎮座する、石上神宮です。
『延喜式』神名帳の大和国山辺郡に、「石上坐布都御魂神社」がみえます。

『日本書紀』垂仁三十九年十月条に、垂仁天皇の皇子の五十瓊敷入彦命が、茅渟の菟砥川上宮で作らせた剣一千口を石上神宮へ納め、神宝を掌らされたことがみえます。

同八十七年二月五日条には、五十瓊敷命から妹の大中姫命を経て、物部十千根大連が神宝を治めることになったとされます。
「故、物部連等、今に至るまでに石上の神宝を治むるは、是その縁なり」
とあり、物部氏が『日本書紀』の成立期に至るまで、石上神宮の神庫を管掌していたことの起源が語られています。

『日本書紀』において「神宮」を称されるのは、伊勢神宮以外では、「出雲大神宮」(崇神六十年七月十四日)と石上神宮のみであり、王権との繋がりは深く、重要視されていたことがわかります。

背後の布留川が、山地から平野へ流れ出ようとする場所にあります。
すなわち扇状地の扇の要に位置し、その扇状地上に展開する布留遺跡を支配した勢力によって社地が決定されたと考えられます。

本来、布留川に向かって、南から北へ降る、傾斜した地形でしたが、一辺約百二十メートルほどの正方形の整地を行うことによって平地を造り出し、そこに神体・神宝類を埋納して、人口的な聖域が作られています。

この聖域は、現在も禁足地とされています。
明治七年に、大宮司として赴任していた水戸出身の国史学者・菅政友によって発掘され、さまざまな出土品が確認されました。

出土品や発掘当時の記録、および周辺の調査の検討によって、禁足地の成立は、古墳時代中期前半と見られています。
これがつまり、石上神宮の創建の時期です。五世紀前半ころということになります。

神階は高く、『文徳実録』嘉祥三年十月七日条に、大和国の従二位石上神が正三位に叙せられたことがみえ、『三代実録』貞観元年正月二十七日条に、正三位勲六等石上神が従二位へ叙せられたことがみえます。
貞観九年三月十日には、従一位から正一位へ昇ったことが、同じく『三代実録』にみえます。

楼門は、棟木に「文保二(1318)年卯月二十九日」の墨書があるそうです。
重要文化財に指定されています。

拝殿は、国宝に指定されています。
白河天皇が宮中の神嘉殿を寄進したという伝説を持ちますが、鎌倉時代の造営であることが明らかになっています。

祭神は、布都御魂神、布留御魂神、布都斯魂神。
宇摩志麻治命、五十瓊敷命、白河天皇、市川臣命が配祀されています。

古来より本殿を持ちませんでしたが、発掘の際に出土した剣が、布都御魂神の神体にあてられ、それを納めるための本殿が、大正二年に竣工しています。
剣は、四世紀代のものと見られています。

布都御魂(韴霊)神は、東征の途中で危機に陥った神武天皇を救った神で、出雲国譲神話で知られる武甕槌神の佩剣の霊威とされます。
このことは、『古事記』『日本書紀』両書にみえます。
『古事記』によると、佐士布都神、甕布都神の別名を持ちます。

『旧事本紀』は、物部氏の祖の宇摩志麻治命の忠節に報いるため、神武天皇がこの神霊の剣を下賜したとします。
崇神朝に至り、宇摩志麻治命の六世孫の伊香色雄命によって、宮中から大倭国山辺郡石上邑へ遷されたのが、石上神宮の創建であると称します。

布留御魂神は、『旧事本紀』にみえる、物部氏の祖神・饒速日尊によってもたらされた、十種の天璽瑞宝の霊威とされます。
十種の瑞宝とは、瀛都鏡、辺都鏡、八握の剣、生玉、死反の玉、足玉、道反の玉、蛇の比礼、蜂の比礼、品物の比礼から成るといい、鎮魂(たまふり)の力を持つとされます。

宇摩志麻治命が、この瑞宝を用いて神武天皇へ鎮魂を行ったことがみえ、宮中の鎮魂際の起源であるといいます。
布都御魂剣とともに、伊香色雄命によって当地で奉斎され、その総称が石上大神といったことがみえます。

布都斯神は、素戔嗚尊が出雲斐川で八岐大蛇を斬ったときに用いたという十握剣の霊威とされます。

『日本書紀』巻第一第八段の第二の一書に、「蛇の麁正」とあるこの剣は、「此はいま石上に在す」とみえます。
古代史料上には、石上神宮祭神の要素はフツ・フルのふたつだけで、布都斯神はやや時代が下ってから、『書紀』の記述に付会、もしくはフツの神から派生したものと見られます。

配祀神の市川臣は、『日本書紀』垂仁三十九年十月条の異伝、および『姓氏録』大和国皇別布留宿祢条のなかにその名がみえる人物です。
天足彦国押人命の後裔、春日臣氏と同族関係にあった、物部首氏の祖です。社家の森氏が末裔を称しています。

物部首は天武朝に布留宿祢へと改氏姓する、当地の土着豪族から発展した氏です。
物部連が五世紀代に進出してきたとき、その配下として組織されたものと見られています。
物部大連が滅亡し、その影響力が低下してから、『書紀』や『姓氏録』のような独自伝承を主張するようになったようです。

摂社の出雲建雄神社。
祭神の出雲建雄神は、草薙剣の神霊といいます。

江戸時代成立という縁起によると、天武天皇の時代、布留邑智という神主がいて、ある晩、布留川の上に八重雲が立ちわき、その雲の中で神剣が光り輝いている、という夢をみました。
翌朝そこへ行ってみると、八つの神石があって、神が「吾は尾張氏の女が祭る神である。今この地に天降って、皇孫をやすんじ、諸民を守ろう」と託宣されたので、社殿を建てて祀ることにした、という伝説があるそうです。

『延喜式』神名帳の大和国山辺郡に、「出雲建雄神社」がみえます。

出雲建雄神社拝殿は、国宝に指定されています。

もとは廃仏毀釈で明治九年に廃絶した内山永久寺の、鎮守社だった住吉神社の拝殿でした。住吉神社は、末社の猿田彦神社に合祀されています。
保延三(1137)年の建立の後、数回の改築を経て現在の姿になりました。
中央に馬道と呼ばれる通路を開いた割拝殿です。

摂社・天神社(左)、七座社(右)。
天神社は高皇産霊神と神皇産霊神を祀り、七座社には左側から大直日神、御膳都神、魂留産霊神、生産霊神、足産霊神、大宮能売神、辞代主神が祀られています。

祭神は鎮魂と関わりが深く、十一月二十二日には鎮魂祭に先立って例祭が行われています。

境内の鏡池には、県の天然記念物に指定されているワタカが生息しています。
大正三年に、内山永久寺跡の本堂池から移されたといいます。

ワタカは別名を馬魚といいます。
伝説では、後醍醐天皇が吉野へ逃れる途中、永久寺で潜んだおり、天皇の御乗馬がいなないて発見されるのを恐れ、その首を斬って池に投じたため、草を食べる魚を見た人々は馬の首が魚に変じたものと考えて、これを「馬魚」と呼ぶようになったといわれるそうです。

古代の石上神宮は、究極の所有権を王権が持ちましたが、やがて物部氏の氏神としての色合いを強めていきました。

『日本書紀』天武三年八月三日条には、忍壁皇子を石上神宮に遣わして、神宝を磨かせ、神庫に納められていた諸家の宝物をそれぞれ子孫に返還したことがみえます。

各地の諸豪族が、王権への服属の証しとして差し出していた神宝が、ここで管理されていたことになります。
物部氏の軍事的職掌を介して、石上神宮の祭祀や神宝の管理で独占的な地位を築いていったものと見られます。

また、『日本後紀』延暦二十三年二月五日条には、大和国の石上社の武器を山城国葛野郡へ移し、翌年二月十日には、桓武天皇の病は、これを不当とする神意によるものとされ、多くの武器が元に戻されたことがみえます。

石上神宮が、古くは武器庫としての役割も持っていたことがわかります。

末社の神田神社です。県道五一号線に面した場所に鎮座します。
祭神は、神武天皇に布都御魂剣を奉った高倉下命。

もとは天理市三島町の鎮座でしたが、平成になってから外苑公園の西向かいの現社地に遷されました。かつては旧社地に神饌田があって、ここで収穫されたお米が年間の祭典に用いられていたそうです。

ここの西側一帯からは、五世紀後半から六世紀ころの豪族居館遺跡が発掘され、物部大連に関係するものと見られます。

県道の、布留川にかかる橋です。
「和州山辺郡石上布留神社絵図」「和州山辺郡布留社頭并山内絵図」によると、江戸時代にもこの付近に「大橋」があったことがわかります。

橋の北に、堂前、堂垣内、堂後の小字地名が残ります。
良因寺があった場所で、石上神宮の神宮寺だったと見られます。
六歌仙のひとりとして知られる、僧正遍昭に所縁の地で、小野小町も訪れたことが、『後撰集』巻十七にみえています。

文人・画家として名高い富岡鉄斎が明治九年五月から八ヶ月ほどの間、少宮司でした。
参道入口左側の「官幣大社石上神宮」の社号標や、鏡池の南側に建つ諸霊招魂碑は、鉄斎の筆によるものだそうです。

参道には、柿本人麻呂の「未通女らが袖振山の瑞垣の久しき時ゆ思ひき吾は」の万葉歌碑があります。

境内の鶏たちは、もともと一般家庭で飼われていて、捨てられたものだったそうです。
今ではよく風景に溶け込んで、山辺の道を行く人々の人気者です。

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参考
置田雅昭「禁足地の成立」 和田萃編『大神と石上』
近江昌司「布留郷と石上信仰」  和田萃編『大神と石上』
竹谷俊夫「石上神宮出土の遺物」 『天理参考館報 第6号』
藤井稔『石上神宮の七支刀と菅政友』
石井昌國・佐々木稔『古代刀と鉄の科学』
日野宏「大和における首長系譜の一例」 『天理大学学報 第145輯』
日野宏「群集墳と集落に関する一考察」 『天理大学学報 第157輯』
松前健「石上神宮の祭神とその祭祀伝承の変遷」 『古代信仰と神話文学』
工藤浩「『先代舊事本紀』の構造と成立」 『古事記年報 39』
『週刊神社紀行8 大神神社・石上神宮』
石上神宮『石上神宮』