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剣刀石床別命神社 [地図]

静岡県三島市谷田に鎮座する、剣刀石床別命(つるぎたちいわとこわけのみこと)神社です。

『延喜式』神名帳の伊豆国田方郡に、「剣刀石床別命神社」があります。

祭神は、剣刀石床別命と、日本武尊。

『伊豆国神階帳』所載の「従四位上 なつめの明神」に当社をあてる説もあるようです。

境内社。本社の右手に並んでいます。

現状では、小さな独立した丘の上にあるように見えますが、本来谷田台地の突端に位置しました。
宅地造成などで、地形はかなり変貌したそうです。

こちらは左手の境内社。内部に複数の祠が並びます。
脇に下の写真のようなものも置いてあったので、他所から移転してきた山神社が含まれているのかもしれません。
社名「剣刀石床別命」について、『式内社調査報告』は、「当地の人々が嶽座(竹倉)山麓の剣なす石床から流出する渓水を以つて」農業などの生活用水としていたことから生まれたと推定し、
『三島市誌』は、東北約1.5kmほどのところにあった一ノ瀧・二ノ瀧・三ノ瀧の信仰に祭祀の起源を求めています。

なお、同じ田方郡に剣刀乎夜爾命神社がありますが、こちらは「剣のように切り立った」様子を表すとはほとんど解釈されていないようです。

当社の場合も、岩から流れ出る水の信仰については、御嶽権現と通称された時期の解釈の可能性があり、刀剣や金属鉱床・鍛冶などとの関係も考える必要があろうかと思います。

 

向山古墳群 [地図]

剣刀石床別命神社から南東へ約700m。同じく 三島市谷田に所在する、向山古墳群です。

上の写真は、奥から14号墳、13号墳、墳丘がほとんど残っていない15号墳、12号墳です。

剣刀石床別命神社の境内案内板に、「社地の後方台地には古墳群の遺跡があり、古代の聖地を思わせる」とありますが、この古墳群が代表的なものです。

左は11号墳。円墳ですが、道路にかなり削られてしまっています。

消滅したものを含めて、15基が知られています。
向山小学校が建っている位置にあった2基の円墳からは、鉄剣・鉄刀・鉄鏃が出土しました。
伊豆地方の古墳から鉄剣が出土したのは、これがはじめてのことでした。

←4号墳。

古墳群の造営された時期は、5世紀後半から6世紀前半ころにかけてと見られています。

←5号墳(手前)と6号墳(奥)。

同時期の伊豆地方の古墳群では、韮山町の多田古墳群や伊豆長岡町の円山古墳群がありますが、向山古墳群が最も大きな規模を誇ります。

←7合墳。

田方平野を支配していた首長の奥津城と見ることができそうです。

←8号墳。

←9号墳。
←10号墳。

伊豆地方ではこれまで、学術的には、前方後円墳の存在は確認されていませんでした。

平成4年、市道の拡幅工事に伴って行われた調査によって、左写真の向山3号墳がはじめて前方後円墳であることが確認されました。

3号墳は、群内の東端に位置します。全長21.5m、後円部径11.6m、高さ1.9m。

被葬者は、在地の豪族でしょうか、後に田方郡領となった伊豆国造(伊豆直)の先祖でしょうか。

←後円部の上から前方部方向。4号墳(左)や5号墳(右)も見えます。

 丘陵上にあるので、非常に眺めがいいです。

 

夏梅木6号墳 [地図]

向山古墳群から北へ600mほどでしょうか。三島市錦が丘の夏梅木6号墳です。
住宅地の中に小さな公園として保存されています。

直径14mの円墳。長さ6mの横穴式石室を持ちます。上の写真のように、奥の左側に箱型石棺が設置されていました。

6号墳からは、刀や鏃、馬具、勾玉など装飾具、土器等、100点を越える副葬品が出土したそうです。

左は古墳の前にある「源平入道墓」。他の場所にあったものを移設したそうです。
本来は、夏梅木8号墳の石棺の側壁材だったと見られます。

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