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神倉神社 [地図]

和歌山県新宮市新宮に鎮座の神倉神社です。
熊野速玉大社の境外摂社です。
社務所は新宮市神倉一丁目にあります。

権現山の峰のひとつに神倉山があり、その頂上に「ゴトビキ岩」と呼ばれる岩を神体としています。

熊野権現降臨の地とされる磐座信仰の神社です。

岩は市街地からも確認でき、一説には、熊野市にある花の窟とともに、熊野灘を航行する船の目印にもなっていたともいわれます。

神武即位前紀戊午年六月条に、名草邑を経て南下してきた神武東征の一行について、「遂に狭野を越えて、熊野の神邑に到り、すなはち天磐盾に登る」という記述がみえます。
狭野はJR紀伊佐野駅のある新宮市佐野一帯で、万葉集(三265)の長忌寸奥麻呂の歌にも「神(みわ)の崎狭野の渡り」と詠まれています。
そして「天の磐盾」に比定されるのが、ここ神倉山です。

明治四十年に速玉大社へ合祀されたものの、大正七年には社殿を建てて復興されています。
昭和三十年の改築の際には、袈裟襷文銅鐸の破片が出土し、弥生時代後期にはなんらかの祭祀が行われていたと見られるようになりました。

二月に行われる御燈祭は、上り子が松明をかざして石段を駆け下りる勇壮な火祭りとして知られます。

祭神は、天照大神と高倉下命。

『古事記』『日本書紀』によると、天照大神と武甕雷神から夢のお告げを受けた高倉下命によって韴霊(ふつのみたま)の剣が神武天皇にもたらされ、その危機を救ったとされます。
石上神宮の祭神の降臨伝承であり、高倉下命は『旧事本紀』では饒速日尊の子とされ、物部氏との関わりが深いです。

また、紀伊国牟婁郡は熊野国造の本拠地ですが、国造本紀はこの国造を物部氏の同族としています。
熊野国造を輩出した熊野氏からは、釆女から女官として活躍し、従四位下まで昇った熊野直広浜も出ています。孝謙(称徳)女帝の側近に仕えた人物でしょうか。

新宮市街や熊野灘がよく望めます。
写真は熊野川河口方面。

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