■ 志貴御県坐神社 [地図] |
『延喜式』神名帳の大和国城上郡に、「志貴御県坐神社」がみえます。 『三代実録』によると、貞観元年正月二十七日に、大和国の志貴御県神の神階が従五位下から従五位上へ昇ったことがわかります。 |
![]() |
また、『旧事本紀』天孫本紀には、宇摩志麻治命の七世孫・建新川命を「倭志紀県主」、同八世孫の物部印岐美連を「志紀県主」の祖であるといいます。 そのため、物部氏の祖神の天津饒速日命を祭神にあてる説が有力です。 |
『日本書紀』本文は孝霊天皇の皇后を磯城県主の娘の細媛とするほか、一書に綏靖天皇、安寧天皇、懿徳天皇、孝昭天皇、孝安天皇の皇后も磯城県主の一族に出自を持つとしています。 崇神天皇の磯城瑞籬宮の比定地として、石碑が立っています。 崇神天皇の母は、『日本書紀』によると、開化天皇の皇后である伊香色謎命で、物部氏の遠祖・大綜杵の娘であるとされます。 |
![]() 磐座といわれます。 |