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野間神社 [地図]

大阪府豊能郡能勢町地黄に鎮座する、野間神社です。
『延喜式』神名帳の摂津国能勢郡に、「野間神社」がみえます。

野間は、保延六年の今富名坪付案(壬部文書、平安遺文2440)に「野間村」が確認できる、古代からの地名です。

元文元(1736)年、『日本輿地通志畿内部(五畿内志)』の編纂者として知られる並河誠所によって、「野間社」の社号標が建てられました。
この神社を式内社にあてるのは、明治以降も定説となっています。

『旧事本紀』天孫本紀の、宇摩志麻治命の十三世孫と十四世孫に、物部金連公という人物がみえ、その後裔として野間連がみえます。
当地を本拠にした氏である可能性が指摘でき、祭神の比定にも影響を与えています。

推古天皇の治世十三(605)年、勅命により、大和の石上神宮から、布留道(野間神社の東から山中を通る布留林道)を通って奉遷したのが創建と伝えます。
天喜二(1054)年をその時期にあてる説もあるようです。

主祭神は、饒速日命。
「布留大明神」とも称され、拝殿にもその額がかかっていました。

御霊代(神体)は、饒速日命が首にかけていた勾玉とされます。
毎年十二月の神事「御召し替え」では、この玉の包み替えが行われるといいます。

また、宇賀御魂神、菅原道真公、草野姫命、野見宿祢を配祀します。
野見宿祢は、雄略紀の十七年三月条にある土師連の祖・吾笥が摂津国の来狭狭村などから民部を割いて贄土師部として朝廷に奉ったという記述により、土師氏の祖として祭祀されたと考えられるそうです。
来狭狭村と関係するらしい式内久佐々神社は、ここから北西に5kmほどのところにあります。

 

鎮座地名の「地黄」について、社伝には薬草の地黄草にちなむものといい、石上神宮から分霊を運んだ人々によって薬草も持ち込まれたといいます。
承和年間より、当地は朝廷典薬寮領の地黄御薗として、薬草の貢献が行われました。

境内社には、住吉神社、弁天神社、稲荷神社などがあります。
ほか、明治四十年に近隣の神社が多数合祀されています。

神社の南方には、野間中古墳群があります。
古墳時代後期に築かれたものです。
出土の銅鈴は、能勢町指定の文化財であり、神宝として野間神社の所有になっています。
忠魂碑は、機雷と砲弾を合体させたタイプでした。

南西へ1.3kmほど、野間稲地に、「野間の大けやき」があります。
樹齢300年を越える巨樹で、国の天然記念物に指定されています。けやきとしては、全国で第四位の大きさを誇るのだそうです。
神社の鳥居の前からでも、農地の向こうに目立つ姿がみえます。

大けやきは、野間神社へ合祀された蟻無神社の旧境内地にあり、かつては神木だったようです。

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