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 美浦村大須賀津から、対岸を望んで▲
 

霞ヶ浦は、古い時代には沿岸の地名を取って、「榎浦の流れ海」「佐我の流れ海」そして「信太の流れ海」などと呼ばれていました。
信太郡は、孝徳天皇の白雉四年(653年)に、物部河内・物部会津らの請いによって、筑波郡・茨城郡から七百戸を割いて設置された、と『常陸国風土記』はいいます。

また、『続日本紀』の養老七年三月には、物部国依が「信太連」を賜姓したことがあり、物部氏同族が信太の地名を負う有力な豪族だったことがわかります。

信太郡は、常陸国の南部、霞ヶ浦南岸沿いの地域に位置し、常陸の入り口をおさえるところにあります。
交通の要衝であり、軍事的にも重要な拠点だったのかもしれません。

美浦村信太に鎮座の楯縫神社。
かつての信太郡衙は、この近辺に置かれたと見られています。

阿弥神社 [地図]

茨城県稲敷郡阿見町竹来に鎮座する、阿弥神社です。
『延喜式』神名帳の常陸国信太郡に、「阿弥神社」がみえます。

鎮座地名の竹来は、もと高来といいました。
『常陸国風土記』に、天地のつくりはじめ、草木がものを言うことができたころ、天から降臨した普都(フツ)の大神は、葦原中国を巡り歩き、荒ぶる邪魔ものたちをやわらげ平らげました。
すっかり平定が終わったとき、天に帰ろうと思って、身に着けていた武器や玉類をすべてこの地に脱ぎすて留めて、白い雲に乗って昇天した、という話があります。
その地が高来の里です。

主祭神は武甕槌命です。
創建は推古朝を称します。

ちょうど地域のかたがたが、境内の清掃をされているところでした。

境内の樹叢は、町指定の天然記念物です。

 

楯縫神社 [地図]

茨城県稲敷郡美浦村郷中に鎮座する、楯縫神社です。

『延喜式』神名帳の常陸国信太郡に、「楯縫神社」がみえます。

境内一帯は、県の環境保全地域でもあります。

祭神は普津主(フツヌシ)命です。
この神が葦原中国を平定しおわったとき、武装をここで解いたことから、楯脱ぎ→楯縫の名が生まれたといいます。
創建は推古天皇の十六年と称します。

 

愛宕山古墳 [地図]

美浦村木原。楯縫神社から北西に700mほどに位置する愛宕山古墳です。
木原台古墳群(白旗古墳群)の盟主墳とされ、木原台6号墳とも呼ばれます。

墳長81m、後円部径67m、前方部幅38mの前方後円墳です。

その名のとおり、墳丘上に愛宕神社が鎮座しています。前方部の正面斜面に鳥居、墳丘上を参道として、後円部上に社殿があります。

築造時期は、5世紀代と見られています。

近くに4号墳と1号墳も残っているはずなんですが、よくわかりませんでした。

←後円部上から前方部側を見おろしたところです。

愛宕山古墳を含む、この古墳群の前方後円墳は、主軸方位をいずれも北40度東を示しているといいます。
その延長線上には、霞ヶ浦を挟んで、筑波山があり、築造にあたって意識されたものと見られます。

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