天璽瑞宝トップ > 所縁の史跡 > 二つの「鳥見」

『先代旧事本紀』は饒速日命が河内に降臨した後、大和に入り、「鳥見の白庭山」を住地にしたといいます。

 
「饒速日尊、天神の御祖の詔を稟て天の磐船に乗りて、河内国の河上の哮峯に天降り坐し。すなはち大倭国鳥見の白庭山に遷り坐す。」

天神本紀

また、饒速日命の墓所についても、遺体は天上へ持ち去られたものの、遺品を代わりに「登美(とみ)の白庭邑」に埋葬したとあります。

 
「高皇産霊尊、哀泣(あはれ)とおぼして、すなはち速飄命を使て以命(みことおほせ)て天上にひきいて上り、その神の屍骸を日七、夜七もて遊楽哀泣哭(えらきかなしみ)して天上に歛意(をさめをはり)ぬ。
饒速日尊、夢をもて妻・御炊屋姫に教えて云く、『汝の子、吾が如く形見の物とせよ』と、すなはち天璽瑞宝を授く。また、天の羽弓矢、羽々矢複、神衣帯手貫の三つの物を登美の白庭邑に葬歛(かくしをさめ)て、これをもて墓者と為す。」

天孫本紀

物部氏の祖・饒速日命がいたという「鳥見」は何処にあるのでしょうか。
奈良県にはいくつかの候補地がありますが、そのうち有力な二つの伝承地を歩いてみました。

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鳥見:富雄川流域  
  饒速日命墳墓   夫婦塚
  神武天皇聖蹟鵄邑顕彰碑   長髄彦本拠の碑
  鳥見白庭山の碑   長弓寺と伊弉諾神社
  真弓塚   登弥神社
  富雄丸山古墳  
鳥見:桜井市外山付近  
  神武天皇聖蹟鳥見山中霊畤顕彰碑   等弥神社
  桜井茶臼山古墳

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