天璽瑞宝トップ > 所縁の史跡 > 都夫久美神社と河内愛宕塚古墳

都夫久美神社 [地図]

大阪府八尾市水越八丁目に鎮座する、都夫久美神社です。
『延喜式』神名帳の河内国高安郡に、「都夫久美(つふくみ)神社」がみえます。

近世には香森大明神とも呼ばれ、社地は東へ六〇〇メートルほどのところにある玉祖神社との位置関係から、中の森と称されていました。

明治四十年に玉祖神社に合祀されましたが、現在は社殿を新たに設け、復興しています。
境内の「式内都夫久美神社址」の碑は、その間の昭和十五年十一月に建てられたものです。

祭神は、宇摩志麻治命。物部氏の祖です。

『姓氏録』河内国神別に積組(つむくみ)造がみえ、「阿刀宿祢と同じき祖。同じき神(神饒速日命)の子、于摩志摩治命の後なり」といいます。
当地を本拠にした豪族と見られ、祭神もこれを根拠にあてられたものです。

「積組」は、構築物建造(積む・組む)を意味し、積組氏は、陣地設営など物部氏族の軍事的性格を支える職掌に従事していたものと思われます。
志賀剛氏は『式内社の研究』で、粒立つ水と解釈しています。

 

愛宕塚古墳 [地図]

八尾市神立四丁目にある、愛宕塚古墳です。
都夫久美神社から北へ二〇〇メートルほど、神立墓地の西側に位置します。

直径約二二.五メートルの円形の墳丘に、石室の羨道入り口付近が張り出す、帆立貝形をした古墳です。
石室は、南側に開口しています。

閃緑岩と花崗岩の巨石が用いられており、大変迫力があります。

玄室と羨道からなる両袖式で、全長は一五.七メートル、玄室長は七メートルという大型の石室です。
西側の袖のほうが東側よりも幅が大きいです。

内部に残されていた遺物は、撹乱や盗掘を受けていたものの、多種多様です。
多数の須恵器をはじめ、土師器、金銅製の飾り金具、鉄地金銅張馬具、鉄製馬具、鉄製武器、装身具の玉類などです。

石棺は少数の破片のみ確認されています。

築造の時期は、六世紀後葉と見られています。
大和の藤ノ木古墳と大きく隔たらない時代と見れるでしょうか。

出土の須恵器では、MT85型式〜TK43型式のものを副葬したのが古墳の築かれた時期で、六世紀末にTK209型式の土器とともに追葬がされています。

また、六世紀前葉ころのMT15型式やTK10型式の土器も確認されており、被葬者の親族でしょうか、他所に葬られていた一世代前の人物が、ここに改葬された可能性が高いようです。

石材の二段積みという点では打上古墳に共通し、玄室高と羨道高の比が2:1と玄室が高く、巨石を用いる点では石舞台古墳に共通します。
いずれも七世紀代の古墳の要素で、愛宕塚古墳は、最先端の構築技術で築かれ、のちの古墳に影響をあたえるような存在だったという見方があります。

古墳の上は眺めがよく、八尾や大阪の街がよく望めました。

安井良三氏は、被葬者に物部氏の人物をあてます。
豊富な金銅製品を副葬していたのは朝鮮半島への派遣氏族に出自を持つためと見られ、河内は物部氏に関係が深く、また十三峠やオト越で平群や竜田、斑鳩を経て石上に至る道の基点にあたるのが、この古墳の地だからです。

物部氏族積組造の住地らしいこともその根拠のひとつですが、古墳の内容からは、積組氏ら物部氏配下の中小氏の長をあてることには躊躇します。

大連家に連なるような、有力者が葬られていたのかもしれません。

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参考
八尾市立歴史民俗資料館『河内愛宕塚古墳の研究』